白洲次郎の流儀 (白洲 次郎ほか)
以前、「プリンシプルのない日本」でご紹介した白洲次郎氏に関する本です。
白洲次郎氏の美学と人柄を、妻である白洲正子さん、娘の牧山桂子さんらのエッセイと豊富な写真で紹介したもので、まさに、氏のカントリー・ジェントルマンたる所以が満載という感じです。
特に、桂子さんの回想は、娘さんならではのエピソードをもって白洲氏のオフの人となりが描かれており興味深いものでした。
もちろん、例の如く「プリンシプル」を重んじた白洲氏の姿も描かれています。
(p119より引用) 原則を立てないこと、自己に立脚した率直な発言をしないこと、共に白洲次郎の嫌うところだった。
そういった白洲氏の人柄を表したエピソードとして、「はがき大の名刺」とのタイトルで小林淑希さんとの交流が紹介されています。
小林さんは、軽井沢ゴルフ倶楽部の工事の関係の方でした。
(p63より引用) 君は自分の建築技術に自信がないのか。あるのなら堂々と胸を張っていればいいのだ。建築会社は、新しく家を建てる時は一生懸命仕事をほしがるが、いざ完成してしまうと寄って来ない。軽井沢に必要な工事屋は、年寄が多いので、襖が重いとか電球の球が切れて自分では出来ないとか、そういう小さなことをいやな顔をせずすぐ来てくれる業者なのだ。小林君はそういう気持ちで出来るか。
小林氏は、その後、この白洲氏の言葉に応えて建築会社を興しました。白洲氏は、その小林さんの「はがき大の名刺」を自分の別荘に預かり、これはという人に紹介していたということです。
もうひとつ、この本の面白味は、妻でありエッセイストの白洲正子さんとのやりとりです。
(p124より引用) 大袈裟な言い方になるが、二人は東洋と西洋を横断する人達でもあった。
二人とも若いころに海外生活の経験があり似たような価値観を持っていました。その価値観を礎にして、互いに尊重しつつも、それぞれに自分を活かした生き方をされたように思います。
(p124より引用) 晩年の二人に感慨めいたものがあったとすれば、一つの社会に居おおせた満足感ではなく、様々な社会を横断しぬいた歩みの達成感ではなかったか。
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