吉田松陰一日一言 (川口 雅昭)
松陰の言葉
吉田松陰関係の本は、 このBlogでも「留魂録」や「吉田松陰と現代」等を紹介していますが、今回は、ストレートに「松陰語録」です。
松陰の著作や書簡等から、編者が日々366の「ことば」を選び並べたものです。詳細な解説はなく現代語訳も直訳調ですが、それがためにかえってダイレクトに松陰の言葉が伝わってきます。
その中からいくつかご紹介します。
まずは、物事に対する姿勢について。
松陰は、「思想家」です。加えて、自ら信ずる思想の具現化を目指す「実行の人」でもありました。
(p21より引用) 能はざるに非ざるなり、為さざるなり。
(p160より引用) 士に貴ぶ所は徳なり、才に非ず。行なり学に非ず。
(p215より引用) 何事もならぬといふはなきものをならぬといふはなさぬなりけり
「実行」にあたっては、眼前の困難に屈することなくその完遂を目指しました。
(p45より引用) 黄霧四塞すと雖も、上に蒼天なきに非ず。
(p165より引用) 断じて之れを行へば、鬼神も之れを避く。大事を断ぜんと欲せば、先づ成敗を忘れよ。
行動を起こすには「時宜」に適うことが肝要です。志を達するためには、機を失せず動かなくてはなりません。
(p177より引用) 一朝の苦を顧うて、遂に千載の図を空しうするなかれ。
(p192より引用) 時に及んでまさに努力すべし、青年の志を空しうするなかれ。
そして、当然、その実行に伴う「自らの責任」も自覚していました。
(p45より引用) 憂楽の変は己に在りて、物に在らんや。
松陰のもう一つの顔は「教育者」としての顔でした。
松陰は、完全無欠・全知全能の人材を求めたのではありません。また、そういう人物を育てようとしたのでもありません。
(p24より引用) 小過を以て人を棄てては、大才は決して得べからず。
松陰は、ひとりひとりの個性・才能を重視しました。それは、ひとりひとりを「個人」として認めることでした。そして様々な個性を結集した総合力に大きな期待を抱いていました。
(p44より引用) 人賢愚ありと雖も、各々一二の才能なきはなし、湊合して大成する時は必ず全備する所あらん。・・・人物を棄遺せざるの要術、是れより外復たあることなし。
昂然として天地古今を一視すべし
本書は、松陰の「語録」ではありますが、松陰自身が編んだものではありません。編者が松陰の著作や書簡から選出したものを並べたものです。そこには、「編者の価値観(選定基準)」というフィルターがかかっています。(もちろん、このBlog自体、それからの更なる引用ですから、もっとバイアスがかかっているわけです)
本書で紹介されている松陰のことばは、批判的・扇動的なものばかりではありません。
たとえば「時間の大事さ」について。
(p41より引用) 得難くして失い易き者は時なり。
また、
(p167より引用) 古より議論は易くして事業は難し。
(p248より引用) 士は過なきを貴しとせず、過を改むるを貴しと為す。
といった普通によくありがちな諺チックなフレーズや教訓的な言葉も収録されています。
さらには、「守成」の難しさを語る(ラディカルなイメージのある)松陰らしからぬ言葉も見られます。
(p137より引用) 創業は難きに似て易く、守成は易きに似て難し。
そうはいっても、やはり松陰に期待するのは、より攻撃的・扇動的で刺激に溢れた言葉でしょう。
幕末、諸外国からの開国圧力が高まる中、松陰は行動を起こします。しかしながら、松陰の信念の行動をもってしても、彼の目に時代錯誤とも映る旧態依然とした体制を揺るがすには至りませんでした。体制の変革は、彼の弟子たちの手に委ねられました。
そういった松陰の「時勢への不満」の言葉です。
まずは、大局を見ず瑣事にこだわる幕府や大学者たちに対して。
(p54より引用) 永久の良図を捨てて目前の近效に従ふ、其の害言ふに堪ふべからず。
(p127より引用) 今人大眼目なし、好んで瑣事末節を論ず。此の弊読書人尤も甚し。
そして、自ら動こうとしない世情に対して。
(p60より引用) 吾れ盛強を勉めずして人の衰弱を願ふ。是れ今人の見なり。悲しいかな、悲しいかな。
松陰は忸怩たる想いを抱きつつも、自らをそして弟子たちを鼓舞し続けます。
最後に、私が「いかにも松蔭」と感じたフレーズをいくつかご紹介します。
(p55より引用) 余寧ろ人を信ずるに失するとも、誓つて人を疑ふに失することなからんことを欲す。
(p73より引用) 汝は汝たり、我れは我れたり。人こそ如何とも謂へ。
(p168より引用) 人生倏忽、夢の如く幻の如し、毀誉も一瞬、栄枯も半餉、唯だ其の中に就き、一箇不朽なるものを成就せば足る。
(p173より引用) 人は唯だ真なれ。真、愛すべく敬すべし。