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小説「魔法使いのDNA」/#020

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葉子

 夢を見た。

 ある冬の寒い日、あたしたちは上野公園で大道芸をする少年を見ていた。

 あたしたちは美術館に行った帰りで、駅に向かう途中でなんだか賑やかな音楽が流れてきたので足を止めたのだった。

 最初は立ち止まる人は少なくて、あたしたち以外にはほとんどいなかったのだけど、なかなかおしゃべりが上手な少年で、いっぱい笑わせてもらった。
 みんなが楽しそうに笑っているので、興味を持った人たちがそこかしこから出てきて、磁石が砂鉄を吸い上げるように人が集められて、気がついたら人だかりになっていた。

 あたしたちは手をつないで少年を見ていた。
 陽だまりをみつけてそこに立っていたけれど、ときおり冷たい木枯らしが吹いた。
 
 つながった手は温かくて、そこからリュウさんの温かさがあたしの身体の中に流れ込んできた。

 あたしのお腹には赤ちゃんがいた。
 もうすぐあたしたちはお父さん、お母さんになる。

 大道芸をしている少年がこれから産まれてくる我が子のように愛おしく思えてきて、あたしは「慎太郎」とつぶやいた。
 リュウさんがあたしのお腹に手をやると、その手に応えるようにお腹の中の赤ちゃんが動いた。

 リュウさんとの別れがこれほど早くやってくるなんて思ってもみなかった。

 リュウさんがあたしと結婚する未来が見えていたのだとしたら、自分がいなくなる未来も見えていたのだろうか。

 あたしは自分の生まれ育った環境から、家族に対する期待も憧れもなかったし、もっといえば、生きることに対する執着もなかった。
 だから、悲しみとか絶望とか、そういうことではないのだけれど、リュウさんのいない世界があたしにとって、つまらない、意味のない世界なのだとしたら、生き続けていく理由なんて実はなかったのかも知れない。
 
 子どもたちをしっかり育て上げたいとかそんな理由があったわけではないけれど、それでもあたしは生きた。

 なぜならば、あたしはもう一度リュウさんに会いたかったからだ。
 会って「よく生きたな。」と抱きしめてもらいたい。
 ただそれだけだった。

 そんな、自分勝手な母親のもとでよくも子どもたちは立派に成長してくれたものだと思う。
 子どもたちを学校に行かせるためには、リュウさんの残してくれた生命保険と貯金だけではやっぱり全然足りなかったので、あたしも頑張って働いた。
 わがままで投げやりなあたしの割にはそれは頑張って働いたと自分でも思う。
 だけど、あたしが頑張ろうが頑張るまいがきっと子どもたちは勝手に大きくなって、勝手に自分たちの夢を叶えたに違いない。
 なぜならば、彼らはリュウさんの息子だからだ。

 だからあたしはただ「よく生きたな。」と褒めてもらいたいだけだ。

 長男の慎太郎は子どもの頃から京都の大学に行くことを決めていた。
 小学生のときに離ればなれになった友だちと再会したいという理由もあっただろうけれど、それだけじゃなかった。
 一番大切にしたのは彼のお父さんとの約束だ。
 それは軽いジョークのようなもので約束というにはあまりにも曖昧な簡単な言葉に過ぎなかったのだけれど、慎太郎の心の中にはしっかりと根付いていて、そしてそれこそが慎太郎のアイデンティティの核になったのだとあたしは思うのだ。
 だから彼はきっとあたしが仮に反対したとしても、あたしがまったく学費を出してあげられなかったとしてもきっと京都へ行ったはずだ。

 あたしにはそれがわかる。
 なぜなら、きっとあたしもそうしただろうし、慎太郎の身体にはあたしの血が流れているのだから。

 リュウさんも少し手品をかじっていたので、そんなところからも興味が湧いたのかも知れないけれど、まさか本格的に大道芸の世界に入っていくとは思わなかった。
 どこで見たのか、いつだったのか記憶は定かではないのだけれど、リュウさんと一緒に、公園か、テーマパークか、そんなところで若い男の子のパフォーマンスを見たことがあった。

 慎太郎は大学を卒業して、自分で決めて海外でジャグリングを学び、そして日本に帰ってきて、プロの大道芸人にはならずに一般企業に就職した。

 ジャグリングなんていくら学んだところでプロになんてなれっこないし、仮にプロになれたとしても安定しない職業に違いないのだから、せいぜい趣味の範囲で止めておきなさいと普通の親なら言うところだと思う。
 あたしも母親としてそう思わないこともなかったけれど、リュウさんならばきっと違っただろう。

 「叶わない夢はない。もしも叶わなかったとしたならば、それはあきらめたからだ。」というリュウさんの声が頭の中に聞こえてきたのだ。
 だからあたしも反対しなかった。

 何にしろ慎太郎が自分で決めたことだ。
 リュウさんの息子の慎太郎が決めたことだ。
 
 慎太郎が今勤めている会社に就職することができたのは、まさしくジャグリングを、それで食っていこうと思えるところまで一所懸命に学んできたおかげだ。
 なかなか著名で待遇も良い会社で、最初からそこに就職をしようと思ったところできっとうまくいかなかっただろうとあたしは思うし、慎太郎自身もそう感じているようだった。

 慎太郎を採用してくれたその会社は一流の会社だ。
 規模が大きくて収益が高いという意味で一流と言っているのではなくて、倫理観や理念が一流という意味だ。
 つまり、存在する意味が明確で働きがいのある会社なのだと慎太郎本人がよくそう言っている。
 リュウさんの息子が言いそうなことだと思う。
 忘年会などで芸を披露することも、もしかしたらあるかも知れない。
 しかし、それが理由でその企業に採用されたわけではもちろんない。
 慎太郎が大学の4年間とさらにアメリカで一人で暮らし、学んできた実績と経験とそこに至るまでのプロセスの中で計画性や戦略的な考え方が身についたこと、それが企業が望む人材像と一致するところになったのだと思う。

 

 次男の恭輔は音楽の世界に進むのだそうだ。

 不安定な世界だろうし、ちゃんと食ってはいけないかも知れない。
 だけど今は、そんな余計なことは考えずに精一杯自分ができることをやれば良い。
 食っていけなかったら、そこからまた人生を考え直せば良いのだと思う。
 何にでも全力で挑戦できる人は、どの世界に行ったってうまくやれる。
 恭輔は慎太郎と違って、思慮深くはなくて思い込みが強くない。
 こだわりがないので応用がきく。
 うまくいかなければ、手段を変えてうまくいく方法を見つけられる人間だ。

 そして何しろ、生まれついての才能と運を持っている。

 だからあたしは、恭輔の将来について一度も心配をしたことがないし、今もしていない。
 きっとあの子はうまくやれる。

 つい先日は、これからリリースされるできあがったばかりのアルバムを聴かせてもらった。
 親の欲目とかを一切抜きにして、素晴らしい曲ばかりだった。
 アルバムに収録されている曲の歌詞は恭輔の作詞としてクレジットされているが、その歌詞の原案は彼の父親であるリュウさんのノートに記されていたものだった。

 できあがった歌にはリュウさんの世界があった。
 リュウさんの目を通して描かれた独特の世界があった。

 そしてあたしはそのリュウさんの世界の住人であり、主人公だった。

 「これって、オカンのことを歌った歌だよな。」と恭輔が言った。

 アルバムの中にはあたしが存在していて、リュウさんが生きていた。
 恭輔がミュージシャンを続けて、歌をつくり続ける限り、リュウさんの世界は終わらずに永遠に続いていくのだと思う。
 たとえ、ノートの中のネタが尽きる日が来ても、彼本人こそがリュウさんの最高傑作といえる「恭輔」がつくる歌詞にも確かにリュウさんが息づいている。

 だからあたしはミュージシャンである恭輔を応援し続けよう。
 THE STORYのファンで居続けようと思う。


 リュウさんがあたしたちの目の前からいなくなってから、慎太郎は父親の代わりに自分があたしを守らなくちゃと思ったようだ。
 そうした決意があたしにも伝わってきて、それはうれしかったけれど、だからといってすべてがわかりあえるようになったかといえば、それはまた別の次元の話だった。
 むしろつらい思いをすることも増えた。
 生活を維持していくためにあたしは働く必要があった。
 そのために家にあまり居なかったことは、逆に家族との関係を少し良くしたかも知れない。

 慎太郎は京都の大学に進んだので、大学生からは家を出て一人暮らしをはじめた。
 それ以来あたしたちは一緒には暮らしていない。
 だけど、毎日顔を合わせていない方がお互いに思いやれることもある。

 恭輔とはずっと一緒に暮らしてきた。
 一緒の屋根の下に住んではいるものの、いつの頃からか生活のリズムが違ってきて、会話をするどころか、顔を合わせることさえ少なくなっていた。
 だから、一緒の朝食の食卓につくなんていったいいつ以来のことなんだろう。

 今日は珍しく予定がなかったらしく、恭輔はゆっくり起きてきた。
 あたしは、子どもたちを二人とも学校を卒業させて、少し責任が軽くなって、必死に働かなくても済むようになっていた。
 最近はときどき気まぐれに休みを取ったりした。

 そんな休みのタイミングが恭輔と重なった。

 「オカン、おはよう。」恭輔が言った。
 「おはよう。今日はお休み? 珍しいわね。」とあたしが言った。
 「何か食べたいな。パンとかある?」と恭輔が聞いた。
 「あるけど、どうやって食べる?」とあたしが言うと、
 「ハムチーズ。」と答えた。

 慎太郎や恭輔たちが子どもの頃、よくそうやって答えていたなあと思って、懐かしい気持ちになった。

 そしてずっと一緒に暮らしているのにいつの間にか遠くなってしまったな、としみじみと思った。

 「兄貴の結婚式、もうすぐだな。」と恭輔が言った。
 「いよいよだね。」とあたしが言う。
 「オカン、何を着ていくんだ? 綺麗な服はあるのか?」と恭輔が言った。
 いつの間にかそんなことを言うようになったんだなと思う。

 「オレ、今日特に予定ないし、たまには一緒に出かけて服を見てこよう。なんだったらオレが買ってあげようか?」とさらに生意気なことを言うのでちょっとおかしかった。
 おかしくって涙が出た。

 「あれから、18年経つのね。」とあたしが言うと、
 「そう言われても18年前なんてオレはよく覚えてないけどね。」と笑った。

 「ねえ、結婚式では歌うんでしょ。」とあたしは質問した。
 「ああ、オレは親父と歌うんだろ。親父がそう言っていたんだろ。」と恭輔が言った。
 「あれ、恭輔はお父さんのこと信じてないの? もしかして、来るわけないって思ってる?」とあたしが聞くと、
 「まさか、そんなわけないだろ。18年間ずっと信じてオレたち生きてきたんだぜ。来ないなんてこと、あるわけないじゃないか。親父はやってくるのさ、そしてオレと一緒に歌を歌って、そして、」

 「そして?」

 「よくやったって、褒めてもらうんだ。」と言って唇を強く噛んだ。

 なんだ、こいつまだ可愛いじゃないかと思ってあたしは恭輔をギュッと抱きしめた。
 
 リュウさんの肩や背中とよく似た感覚を感じた。


#020を最後までお読みいただきありがとうございます。
#021は、今度こそ本当に最終回。
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