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呼ばれる


「わしがあんたを呼んだんや」

みんな、おやさまに初めて会ったとき
そう言われるという
え?わたしだけではないの

「呼んだんや」「呼んだんや」

神様に耳を引っ張られる
それはうれしいことなのか

いや違う
「あんさんがたが、見ててあまりにも不器用であぶなっかしい生き方をしてるから、わしが集めて補習をしてる。
あんさんがたは落ちこぼれ」

神様からの贈り物

でも呼ばれたものは特別と勘違い

本当は落ちこぼれのはずなのに

ただ神の愛を知り
神の愛に包まれ
こころは不思議と穏やかに

最初のころは怖い顔
それがだんだん笑顔になる
こころから笑えるようになってくる

この間一緒に帰ったおばさまは
近くにいてもどうしても
おやさまに行き着かない
20年経ってやっとたどり着けたと話してくれた

それが神の道なのか

呼ばれないと行き着かない道

「そんなですよね、ここは呼ばれないと来られないの」と一緒にいた友も言う

神は時を選んでいる
こちらの心の準備ができたかどうかを待っている
辛抱強く

神と人間の時間の進みかたは違うらしい
神は今世ではなく来世、来来世までも待ち続けるといわれている

不思議な縁(えにし)で呼ばれてる
やさしい、やさしい親元に

話を聞きに来ているからと
偉そうに胡座をかいてはダメ
大丈夫なことはない
こころがつながるわけではない

人の道はそれぞれに違う
一回来るだけでもいい人もいれば
何十回、何百回話を聞きに来てもわからない人もいる
ほとんどが神のこころを理解できない 

来られない人の方が神のこころに受け止めて生きている人はいっぱいいる

呼ばれるのは落ちこぼれだから

それは宗教
いやいや信仰
信仰は神の愛を信じること

自分ではそう思っていても
端から見たら変な人たちの集まりにしか見えない

こころが大事
行いが大事
神のこころにかなっているか
自分のこころをいつも見つめなさい
ありがとうと感謝して

そんなことは当たり前
その当たり前のことができない
何十年経っても

こころを学び
見えない世界を信じると
母のように迷わずに
生まれる前の世界に還れる
おやさまが迎えに来てくれる
(母は自らただ様子を見に来たおやさまに掴まって行ってしまったけれども)

神様に呼ばれて
学べて
感謝して
見えない世界におもいを馳せる

しあわせと一瞬でも感じることが
生きるよろこび

神の言うことは壮大でスケールがちがう
人間には
わたしには計り知れない物語

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