神は沈黙
この文言を書きながら
遠藤周作の「沈黙」を思い出していた
若い頃から何回も読んできたけど神の存在は本当に有るのかと…
信じる者は救われる
そう言われてもなぁ
学校は選んだ訳でもないけれどキリスト教
中学から聖書の勉強をする
毎日毎日、聖書を読み聞かされて
礼拝も強制的
二千年前の御伽話がつらつらと私の頭の上を通り過ぎてゆく
確か中学時代の聖書の時間に司祭の先生が「神は何処にいるでしょう」と不思議な質問をする
神は目に見えないからいるとしたら
「自分の心の中にいる」と思ったので
そう答えると
「その通りだと思います」
そうかやっぱりそうなのか
私の考えは間違ってはいない
私はそれから自分の中に神を探すようになる
爺さんから引き継いだ病をもらい、重い荷物を背負う私をイエス・キリストになぞらえて、生きよと言う
ふざけるな
爺さんはまるで他人事の様に「十字架を背負ったと思え」と冷たく言い放つ
他人を思いやることが出来ない
今では気の毒な人と思えるが
そんな奴の血が私にも入っていることを呪っていた
父も何故だか分からぬが爺さんに似てくる容姿を見て「血を抜きたい」とボソリと鏡の前でつぶやいていたと言う
人間の心を持たぬ獣がただ人間の形をしただけ
世の中にはそんな奴で溢れかえる
自分さえ良ければいい
我が身勝手な輩が多い
私は昔々に近隣の何かを感じる神社の神主に「この子は精神を病む」と言われたと母から聞かされて、「絶対になるものか」と自らに誓う
病みそうになったことが何度もあるけれど、いつもいつも沈黙の神に見守られていた
今だってそう
母がいなくなってから心療内科へと勧めてくれる人がいても
「どうせ薬を出すだけでしょう、眠れるし」
本当は熟睡なんか出来てないはずなのにとりあえず休めるからと
そんなところへ行くもんか
相変わらず身も心もぼろぼろで毎日やっと息をしてるだけ
気力なんか出ないのに
そんな私を他人は「あなたは強い人」と言う
私が強いわけではない
わたしの側にはいつも黙って寄り添うだけの神がいる
ただそれだけ
私の中の神さまは現実に現れた
あの二十歳の時に死にかかり幽体離脱をしたことも良くご存じである
「(あの苦しみを乗り越えたから)あんたを呼んだんや」
それからは何かあったら「おやさん」を呼び求める
幸せと不幸せは自分が決めるもの
生きていればどちらもやってくる
神はいつも沈黙で
進む道を決めるのは自分自身
ただそれに寄り添うだけ
本当は神の声を聴いてみたい
まだまだ頑なな私の心
溶けないものではないけれど
この心が温まりゆるくなったら聴こえてくるのか
見えない神の沈黙よ