三ヶ月に一度~骨粗鬆症の通院
二年前洗濯物を取り込もうと
ベランダと部屋の段差で
足をひねった
左足がメリメリメリと音がした
痛い
右足も足元にあった目覚まし時計にぶつけた
痛い
おしりをついて階段を下りる
両足骨折
まだまだコロナが流行っている
本当は救急車を呼んでもいいのだが
医療従事者の息子に変な知識だけは詰め込まれ
「救急車呼んでいいですか」という確認できるところに連絡をするも
つながらない
もう救急車じゃん…
こっちはすぐに来てくれる
「病院は市内の○○病院でいいですか」
「かかりつけの✕✕病院におねがいします」
「その足(のできもの)はなんですか?
」見とがめる
「乾癬です」
(もう何でもいいから早く出せ…)
年配の救急隊員が✕✕病院に連絡をする
乾癬を疥癬といい間違えている
「疥癬は受け入れられません」
と言われている
(こりゃえらいことになる…)
わたしは意識が遠のく痛さをこらえて
「疥癬じゃありません!乾癬です!」 と叫ぶ
救急隊員のおっちゃんはわたしの言葉をオオム返し
無線の向こうから
「乾癬なら大丈夫です、受け入れます」
やっと救急車が動き出す
ふと外を見る、まだまだ家から目と鼻の先
救急車って鈍いのね…
病院について、いつもの処置室に運び込まれる
見慣れた院長に看護師さん
院長は
「こりゃオリンピックは無理だね」
えっ、オリンピック?二ヶ月も先のこと…
いつの間にかバルーンを入れられている
即入院
それから一週間後
左足の創外固定と右足に針金で骨をつなぐ手術
一回目は麻酔が切れたら痛くて痛くて、無意識に「おやさ~ん」と叫んでいた
ある一人のおばあさんは「おやさん」を「お父さん」と聞き間違え
あとから「お父さんは?」って聞かれる
もう父は亡くなっていたから
「死んでいます」と答えると
「あらぁ~、そうだったのごめんなさい」と謝られる
多分「お父さん」って夫のことだよね
まぁいいわ、勝手な解釈で、放っておく
同室のおばさま方はうわ言をいう私に気遣い
睡眠導入薬で眠ってくれる
やさしくて助かった
二回目は左足に金属を入れて、骨をつなぐ手術
その時は術後、硬膜外麻酔で痛くなかった
何で二回とも硬膜外麻酔にしてくれなかったのか、それは手術が近すぎたから
約70日の入院で、ほとんど車椅子歩行
退院の十日くらい前にやっと自力歩行になる
理学療法士たちはわたしの息子と同年代
お母さんみたいなもんだ
やさしく接してくれる
でもリハビリは厳しい
きちんとやる
ちゃんと歩けるようにして
退院させたいから
わたしには一日三回のリハビリが課せられる併設のリハビリ病棟が待っていた
毎日毎日リハビリに追われる
入院生活もあと少しとなった時
担当の理学療法士が
「ノリかなさんの左足って粉砕骨折だったんですね」
と先生の指示書で気づいて教えられる
えっ?そうだったの、わたしもその時に知る
二人して今頃になって
はじめましてとは…
後から先生の説明を聞いた息子に尋ねると
「あぁ、そうだよ。Y先生にレントゲン見せられらて、説明された」
あっけらかんという
さすが医療従事者
粉砕骨折、粉砕骨折
どんな折れ方をしたら
粉砕骨折になるの
そりゃ骨粗鬆症と言われるはずだ
治療も一番最新の一日一回の自己注射テリパラチド
それでも「あなたは若いから…まだ50代、その注射は二年間。大丈夫よ」と仲良くなった薬剤師に慰められる
そうなのよ、骨折は年寄りに多い
リハビリ病棟も老人ばかり
「80代の人に2年ですって言うのと50代の人にいう2年ですは(重さが)違うでしょう」
薬剤師、すごい説得力
わたしのようなおばさんでも
まだまだ若造
なんとか歩いて退院できて良かった
でも病院を出たら
ヨレヨレで母にも驚かれた
「(抗がん剤を飲んでいる)わたしの方が元気」って
一年後、血液検査の結果
わたしは注射治療から飲み薬に変わる
その年の秋には左足の金属を取る手術
母をかまえる余裕はない
本当にかわいそうなことをした
それでも母は頑張った
がんばれは嫌いだけど
頑張ってくれた
少しは母と笑い合えたかなぁ
大好きなお寿司も食べた
うなぎも食べた
あれから七ヶ月
今日は骨粗鬆症の通院日
いつもと変わらない病院
いつもの変わらない処置室
いつも変わらない院長
前回の血液検査の結果は良好
飲み薬も継続
でも母はいない
三ヶ月に一度の通院日が
無事に過ぎてゆく