どんな親から生まれたの
もう十数年前
前世療法をやってもらった時、不思議なことを言われました
「あなたの心はとてもきれい、どんな親御さんから生まれたの」
当時は父を亡くしたばかりの母は
あの世のことの書かれた本ばかりを読んでいました
「わたしの行った前世療法に行ってみる」と聞くと二つ返事で行ってみたい
母を連れて、都内の小さな事務所に使われているアパートへ
わたしは信頼している療法士さんに母を託し、時間潰しに外へ出ます
約二時間後、母を迎えに行くと
母は父との不思議な前世の話しを聞かせてくれました
母は高齢だけど、おやさまの教えを学び、見えない世界の話しも充分に受け入れられる素地があります
療法士さんは母と接して
「ああいうお母さんからあなたは生まれたのね」と何だかひとりごちしたように言われました
母はこころのきれいな人とわたしにも分かります
わたしなんか足元にも及ばない
この世でもあの世でも修行をいっぱい積んだ人
頑固な父曰く「こわい」人でもありました
本気になると父よりも、父がびびるほど「こわい」人
ずっとやさしい、やさしいと思ってきたけれど、母の方が何十倍も恐ろしい
そんな強さを持った女性でした
昔々母は姉から「あんた、鬼子母神のような人」と言われたことのあるくらい、わたしのことをかわいがっていました
わたしはずっとずっとかわいがられて育ってきました
母に守られぬくぬくと
だから母の具合が悪くなった時、落ち込みながらも、親孝行をと思いました
実際にはどれだけ親孝行できたのか
わたしには分かりませんが…
おや様の元へ行きがけの時
母は
「あんた、この子の病がなかったら、ここへくることはなかった。娘は身をもってあんたをここへ連れて来た、親孝行な子やで」
と言われいました
神の目から見たら
親孝行なのか
わたしって
人間の目から見るものと
神の目から見るものは180度違うことを教えられていました
自分のような不幸なものはいない
最近、わたしはずっとそう思って生きて来ました
母が旅立ってからは特に
だけど違うんですよね
全くの逆
不幸は裏を返せば
成長できる幸せで、チャンスです
成長できるだけの器が自分にはある
そう思わないと
全ては成長のためと
流行り病にかかり
身も心も立ち直れなくなり
自分はどうしたらいいのだろうと投げやりになっていました
肉体を持つ人間の弱さ
困ったなぁ
弱ったなぁ
いつもそこでドツボにはまる
弱虫のわたしです
何を信じればいいのだろう
何にもたれて生きて行けばいいのだろう
また見えるものにこだわろうとするのか
行ったり来たりを繰り返す
どこかで分かっています
見えない神にもたれて生きること
神がついているから苦労はしない
そんな甘い思いは捨てて
生きて行くしないんです
生きるとは苦労の連続みたいなものです
自分の思い通りの生き方なんて出来ません
神と倶に生きるとは魂の成長のための人生です