スポーツは教育の一環という意味
為末さんがこんなツイートをしてました。これで今のスポーツ教育に関して「ピンときちゃった」ので共有しておきます。
上記の言葉を自分なりに言い換えさせて下さい。
目の前の試合に勝ちたい人は勝ち方を選ばない。人生の勝者になりたい人は勝ち方を選ぶ。
教育というのは本来目の前の試合の勝ち方を教えるだけでなく、人生の勝者になるためのヒントを授けるものであると私は思っています。人生において確かに目の前の試合を一つ一つ勝っていかなければならない側面もあります。ただ、人生通して勝ち続ける事が出来る人はほとんどいません。むしろ皆無と言っていいかもしれません。であるならば、勝ち負けを繰り返しながらどう前を向いて生きていくのかという事を子どもの頃から学ぶ必要があります。そのための最良のツールがスポーツであると私は思っています。
スポーツはルールに則って仲間と対戦します。そこには必ず勝敗が付きます。勝って喜ぶこともあれば、負けて悔しい思いをすることもあります。勝ちや負けから学び、少しづつ上達していきます。これは人生そのものではないでしょうか?
スポーツが学びの場になるための条件があります。それは「試合に出る事」そして「負けから学び次に生かせる環境であること」です。試合に出て、今日は負けたけど、ここを練習すれば次は勝てるかも、という反復が出来る必要があります。
そのためには多くの子どもが試合に出られる仕組みを作る事、そして、同じような実力の子ども同士がリーグ戦を開催することが重要となります。この仕組みの中でもちろん、1試合1試合全力で戦い、勝利を目指します。ただ、勝利を目指した結果、負ける事もあり、そこから次に向けて準備をします。
日本でもしばし「スポーツは教育の一環」という言葉を耳にします。ここでの教育的要素は忍耐、自己犠牲、協調性などの事を言っていると思われます。しかし、そこが強調されるあまり、スポーツから本来得られる他の大事な要素、自分で考えて行動する力、反省して次に生かす力、リーダーシップなどが得られなくなっているように思います。
目の前の試合に勝とうとすることはもちろん重要です。ただ、勝敗に関わらず、試合から学び、前を向いて進み続ける能力もまた非常に重要です。スポーツが真に子どもたちの将来に役立つ形で子どもたちに提供出来るようにしていきたいものです。
※このnoteは何か解決策を示したり、建設的な議論をするためのものではありません。ただ、私の日本のスポーツ業界に対しての違和感や憂いを吐き出すためのものです。
スポーツビジネスについて議論したい方やヒントを得たい方は是非私のサロンへの参加をご検討下さい。
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