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80系電車が進出する直前の飯田線 さまざまな戦前型車両が見られた最後の夏
豊橋と辰野を結ぶ飯田線で、湘南型として名高い80系電車が本格的に活躍したのが1978年10月のこと。その2か月前の8月、「スカ色」の流電や郵便・荷物合造車などが主力だった頃の飯田線を訪れました。
(この記事は2019年11月に会員限定記事として配信したものです。)
急行以外の旅客列車はすべて旧性能電車
初めて飯田線を訪れたのは1964(昭和39)年で、まだ17m車が幅を効かせていました。モハ52などの20m車が湘南色に変わり始めていて、カラーでも何枚か記録していますが、まだデータの整理ができていません。
▲豊橋に着いて最初の1枚は、朝の仕業が終わって機関区に回送される「流電」。左からクモハ52003-サハ87001-サハ75102-クモハ52005……。増結の2両はクモハ54とクハ68のようだ。流電が入るのは4連固定の31~34運用で、朝夕は6連もあるが、11~13時台は全運用が豊橋と牛久保で入庫となる(1978年8月8日、楠居利彦撮影)。
今回お目にかけるのは1978(昭和53)年8月8~10日に撮影したもので、この年の10月から80系の本格使用が始まっていますから、戦前型のさまざまな形式が見られた最後の時期となります。
▲中部天竜支区所属の救援車サエ9320。元伊那電のサハユニフ101で、この時代に木造車体は貴重な存在だった(1978年8月8日、楠居利彦撮影)。
▲伊那大島を通過するED62 2牽引の貨物列車。輸入電機のED18とED19は昭和50年度末に引退している。右にある日通の建物がなかなかいい雰囲気で、これだけの写真も撮った(1978年8月8日、楠居利彦撮影)。
▲261Mの最後尾はクハニ67903。以下、クモハ54(100番代)、クモハ43と続く。クハニ67は天竜峡以北の使用が原則で、91・92の2運用があった(1978年8月8日、楠居利彦撮影)。
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