映画「OLD」を見に行って、やたらと老いについて考えた休日
友達のしめちゃんが、ワクチンを2回キメてからある程度経過したので、我らがナイト・シャマラン監督の映画「OLD」を見に行った。
もう映画が終わりかけていたので、昼間の1回しかやっていなかった。普段はレイトショーばかりなので、休日のまっ昼間に映画館にやってきたのは、互いに、恋人とよく映画に来ていたとき以来だなあと思い出し、感慨深いものがあった。
しめちゃんとは私の近所に住む地元の友達です。
詳しくはハッシュタグしめちゃんをご覧ください。
一部、別人のしめちゃんあり。
ステーションシネマの大きな柱に「STARDUST」と書かれた映画ポスターが貼ってあり、「ええ!!」と驚いて近づいた。
最も洗練されている地球人だと私が信じて止まないお方であるデヴィッド・ボウイが、ボウイになる前の物語の映画ではないか!
こんな映画やるって知らんかったぞ、とビックリした。
コロナ禍というのは新しい映画の情報がまったく入ってこなくさせる。映画から私を遠ざけてしまっているのだと思って悲しくなる。
「ボウイ様の映画をやるのに、無名の役者(私が知らないだけです)ばっかり集めてなんで?!ボヘミアンラプソディ以上の大作にしてよ!」と柱に向かってぶちぎれていたが、そういえばダンカン・ジョーンズ(ボウイの息子)が「ドキュメンタリー映画は認めないし、本人の曲を1曲も使わせない」とか言ってたニュースを数年前に見た気がするが、この映画のことだったのか、と思い出した。
遺族が一切認めていない映画に複雑な思いもしつつ、でも見たいと思い、しめちゃんにすすめられムビチケを買って特製ステッカーをもらってご機嫌になった。
確か、映画「ヴェルヴェット・ゴールドマイン」もボウイ本人が認めていなかったはずだが、あの映画も私は大好きである。ごめんよボウイ。許してね。
休日は、起きるまで寝続けているので大体顔がむくむのだが、数年前にしめちゃんと二人でスターウォーズ展を見るためだけに愛媛に弾丸日帰り旅行に行った日の早朝の私の顔のむくみが、人生最上級にパンパンだったことをもうずっとしめちゃんにネタにされ続けている。
「あの時ののりまきちゃんは、むくみすぎてしわが一本もなくなってて、肌がプルンプルンで若々しくてはじけてたよ。」という謎の褒め方をしてくれるしめちゃん。むくんでアンパンマンになっていただけだよ。
今日はあの日ほどむくんではいないが、映画「OLD」を見た後、びっくりするくらいシワシワのOLDになってたらどうしよう・・・など冗談を言いながら、さてシャマランはどこに出てくるかな?(毎度のお約束)と言いながら、シャマランタイムに突入した。
(ちゃんとシャマラン監督は出てきた。いつも以上の長さだった)
私はシャマラン監督の映画を、いつか「シックスセンス」を超える作品に出会えるはずと信じて毎回見続けている。毎回がっかりして終わるのを繰り返しているうちに悟りを開いて、シャマランはきっといつか名作を作ってくれるから大丈夫、と信じるようになった。
「アンブレイカブル」の世界観、「サイン」の「見て、打って」のシーン、「ヴィレッジ」の赤ずきんちゃん、「ハプニング」の奇妙な現象の連続、「ヴィジット」の記憶にほとんど残ってなさ。
ああ、もう無理なのかなあ・・・と諦めかけたときの「スプリット」からの前作「ミスターガラス」に感動し、「アンブレイカブル」と合わせた3部作にシャマラン監督からのメッセージを勝手に受け取った気がした。この3部作のフィナーレが素晴らしすぎたのでまた20年名作に出会えなくてもいいのとすら思っている。私は超絶に心が広くて気が長いシャマラン監督ファンなのである。そういう人をシャマラニストと言うらしく、そして、おそらく世界中のシャマラニスト(シャマラニアン?などとも言うらしい)もみんな私と同じ気持ちだとも思う。
さて、「OLD」はと言うと、普通に面白かった。
設定、映像、発想はシャマランだなあと思った。
今回は序盤に貼られた伏線が見え見えで、私もしめちゃんもすぐに分かってしまったくらいストーリーはシンプルではあった。まあ、これくらいのもいいよね、というサッパリした後味で私たち二人は映画館を後にした。
「あのお父さん役、ガエル・ガルシア・ベルナルって最後のクレジットではじめて気づいたわ!」と私が言うと、「嘘やん?最初に気づいたで。でも名前が思い出せんくて最後にフルネーム思い出せたわ」としめちゃんが言い、「嘘やん?ガエル・ガルシア・ベルナルのフルネーム、忘れたん?」と私がツッコんだ。
「昔さ、20年以上前に、ガエル・ガルシア・ベルナルを初めて見た時さ、こんなにかっこいい人がいたんか、ってびっくりしたよな」
「そうそう。セクシーやったし、初めて好きになったメキシカンやったわ」
「ガエル・ガルシア・ベルナルって常にフルネームで言いたかったよな。ジョナサン・リース・マイヤーズもやけど」
「昔はスラスラ言えてたのに、もうそれが出て来なくなったわ・・・歳や」
私たちは、最近単語が口から出てこないことがよくある。アレに出てたあの人、みたいな。分かり合えるから良いけど。
ガエル・ガルシア・ベルナルが最初に出た映画「アモーレス・ペロス」の監督の名前も、昔はフルネームで言えたのに、いまや「ニャ」がついてたということしか思い出せず、wikipediaで「アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ」と見て「ああ、そうそう」とスッキリした。
まだ思い出せてスッキリできるだけYOUNGである。
「しかし、ガエル・ガルシア・ベルナルってあんなに背が低かったんやな、びっくりした」
「普通の小さいおじさんになってたね」
「歳とってたね、ただのおっさんやん」
「OLDやわ、ほんまに」
「あんなに格好良かったのにな」
と二人で言いたい放題言って、wikipediaでガエル・ガルシア・ベルナルの年齢を調べたら、私たちよりも1歳年下だということを知って、シャマラン監督のこれまでのどの映画のエンディングよりも驚愕のラストとなり、私たちは、ガエル・ガルシア・ベルナルのことを口にするのは一切止めた。
気を取り直して、二人で大好きなラーメン屋「人類みな麺類」に行き、チャーシュー厚めをチョイスし餃子もつけて食べた。美味しい。私が今の日本で一番美味しいラーメン屋だと認定しただけある。
「人類」(しめちゃんは略してそう呼ぶ)の店は常にMr.ChildrenのDVDが大画面で流れている(これがこの店の名物で、ミスチル嫌いのしめちゃんが人類に唯一マイナスポイントをつけるのがこの点である)のだが、バンドメンバーはそれなりに歳をとっており、何年か前のDVDだと思われるが、桜井和寿だけはまったく歳をとっていなかった。あの人はガエル・ガルシア・ベルナルと違って、歳をとらないらしい。すごいな桜井さん。
ラーメンを待っている間に、大画面にミスチルのライブイベントのゲストとして氷室京介が出てきて「わーヒムロック!最高!かっこいい!」と思わず口に出して興奮した私の心はYOUNGな14歳のままだった。
その後、コメダ珈琲に行って、私はでらたっぷりサイズのクリームソーダを、しめちゃんはアイスコーヒーのたっぷりサイズの無糖を、「子供やな」「大人やな」と言い合いながら注文した。
しめちゃんの胃カメラをのんで冷静に自分の胃の中の映像をガン見した話や、私の上高地の話などぺちゃくちゃとしゃべり倒した。
コロナ禍で、しめちゃんの会社でも飲み会がなくなり男性社員の人間関係がギスギスしだしているという話から、しめちゃんは飲み会がなくなって最高、世界が平和になってもあの文化は戻らないでほしい、と話した。
私はコロナ前から「会社の飲み会は欠席する人」「仕事時間以外は仕事から離れることを徹底している人」というキャラ作りに成功しているので、今は楽ではあるがたとえ職場の飲み会文化が戻ってきても誘われれば断ればいいだけで、別にそんなに関係ない。
しかし、しめちゃんは会社内で人気があるから誘われるし、普通の会社では女性社員が少ない場合、飲み会などはなかなか断りにくいとのことだ。
なんやねんそれ。私にはまったく理解できない。
行きたくなけりゃ行かなきゃいいのに、と思うし、しめちゃんもいつもそういうスタンスで生きているのだが、職場で毎回それを貫くのは難しいらしい。うちの職場は女性が多いが、女がたくさんの男に混ざって働くというのは大変なのだろうと同情する。
私は理解してもらえる人にだけ愚痴りたいし、分かり合える人や話してて楽しい人とだけ飲みに行きたい。愛想笑いを求められる場なんて、私の前には一生戻ってこなくていいと思っている。飲みニケーションなどしなくても、仕事の中で円滑なコミュニケーションをとったり気遣い合って、しっかりと仕事をするのがプロの仕事だと私は考えている。その言葉自体無くなったらいいのにと思っている。
でも飲みニケーションをやりたい人のことは否定しないし、そういう人だけが集まって楽しい時間をお過ごしくださいと願う。
「のりまきちゃんは、ずっと人と喋らなくても生きていけると思う?」としめちゃんに突然聞かれた。
瞬時に「そりゃ生きていける」と普通に思ったが、ずっとだとどうだろうなあ。別に苦じゃない気がする。
ソロキャンプだってほとんど誰とも喋ってないし。むしろ誰かと一緒に旅行するのは、人と喋らないといけないからもうしんどくて無理だとすら思っている。
私の得意技は独り言だし、文章を書いていれば喋っているのと大差はない。1人きりで無人島で生きるはめになったら、きっと私は毎日何かを書いて機嫌よく過ごせると思う。あ、無限に筆記用具があって、サバイバル能力が備わっているという設定で。
無人島ではなく今の社会で人と関わらずに生きていくのはさすがに難しいと思うが、喋らなくても大丈夫かもなあ。どうだろう。人間と喋ることやコミットすることを最小限にしていきたい気持ちは強くあるが、ゼロにしたいとは思っていない。
「しめちゃんは誰とも喋らんでも生きていけると思ってるやんな?」と聞いてみたら、「うん、前はそうやった。」と言ったから驚いた。
ええ?今は違うの?!と驚いていたら理由はこうだった。
「喋らないと、衰えるねん。喋れなくなるし、口を動かす力も衰えて、飲み込む力も落ちる。そうなると生きていくのは大変やろ。」とのこと。
最近大きい粒の薬が飲みづらいらしい。しめちゃんは独特の観点から喋りの重要性を悟られている。
「そうやな。これから先の老後は、嚥下が何よりも大事やな。喋ってトレーニングやな。」ということで結論が出た。
我々は老後を健康に生きるために、これからも人間と喋ることにした。
ガエル・ガルシア・ベルナルも出てこなくなるほど、脳はじわじわOLDになってきているので、可能な限りトレーニングをしてOLDするのを遅らせていきたい。私としめちゃんは嚥下力を維持するため口を猛スピードで動かして、愚痴やヤサグレた言葉を山のように吐き出して、笑って腹筋を使う。
有吉が「愛想笑いばっかりしているとほっぺたが痛くなる、本心で笑うとお腹が痛くなる」とこないだラジオで言っていた。
しめちゃんと会った帰り道は喋りすぎていつも喉がちょっぴり痛くなって、それから腹筋が痛い。
OLDになっても、これを続けられるように腹筋を鍛えたいし、ほっぺたを痛めずに生きていきたい。
映画俳優の名前がスッと口から出てくるように映画を見続けて刺激を受けて生きたいな。
「『OLD』のあの女の人みたいにならんように、カルシウムしっかり取ろうな」と言って、しめちゃんと別れた。
などなど、シャマランの「OLD」ワールドに相当影響を受けた休日。
敬老の日であった。