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【高校歴史総合】フランス革命の原因、主な出来事、革命後の影響
フランス革命は、18世紀末にフランスで起こった歴史的な大変革であり、世界史において重要な転換点を迎えた出来事です。絶対王政のもとで社会的・経済的に困窮した民衆が立ち上がり、自由・平等・博愛の理念を掲げて、フランス社会の根本的な改革を求めました。この革命は、封建制度の廃止や市民権の拡大、さらには近代民主主義の発展に大きな影響を与えました。この記事では、フランス革命の原因、主な出来事、革命後の影響について、詳しく解説していきます。
フランス革命
■ 革命前
旧制度(アンシャン=レジーム)…聖職者(第一身分)・貴族(第二身分)が免税などの特権を持ち、平民(第三身分)を圧迫。
革命の勃発…ルイ16世の財政再建策失敗→1789年三部会招集→国民議会と改称し、球戯場の誓いにより憲法制定に着手→ルイ16世は武力で議会を圧迫→89年7月14日パリ市民はバスティーユ牢獄を襲撃。
国王の国民議会への弾圧に対して、1789年7月14日パリの民衆がバスチーユ牢獄をおそいフランス革命が始まりました。近代の幕開けとなったフランス革命は、旧制度を打倒し、政治的発言力を有産市民層にもたらした。共和政はナポレオンの帝政に席を譲るが、その支配はヨーロッパ各地で改革をうながした。フランスで民衆が立ち上がり、絶対王政が倒された。
■ 革命後
絶対王政…国が絶対的な権力を握って行う政治。フランス革命は、1789年7月、絶対王政への不満から各地で反乱がおこる。
人権宣言…フランス革命中に出された自由・平等・人民主権などをうたった宣言。
ナポレオン…革命後の政治で権力を握り、1804年に皇帝となる。ヨーロッパでの大部分支配する。1815年に敗退。ナポレオン法典は、法の基の平等・経済活動の自由などが定められる。ナポレオンのヨーロッパ支配により、自由・平等の革命の理念が広まった。
市民階級の間には古い社会体制を批判し、人間の解放をめざす啓蒙思想が広まっていきました。またアメリカの独立も、フランスの市民階級に大きな刺激をあたえました。
立憲君主政から共和政へ
立憲君主政…封建的特権の廃止を宣言、人権宣言→ラ=ファイエットやラボーらの指導下、1791年憲法制定。国王は国外逃亡失敗で国民の支持を 失う。1791年立法議会成立→1792年ジロンド派(有産市民代表)内閣はオーストリアに宣戦したが戦況不利→祖国の危機に全国から藤重兵結集。
共和政…1792年8月 ジャコバン派指導下にパリ民衆・義勇兵が王宮を襲撃→立法議会は王権を停止→男子普通選挙による国民公会が成立し、王政廃止・共和政を宣言。1793年1月ルイ16世処刑。
恐怖政治と総裁政府
恐怖政治…イギリス首相ピットの提唱で第1回対仏大同盟結成→ジャコバン派が政権をにぎりロベスピエールの恐怖政治。封建的特権の無償廃止。革命暦。
総裁政府…1794年テルミドール9日のクーデタでロベスピエール処刑。1795年穏健共和派の総裁政府成立→経済が混乱し、不安定。
ナポレオン帝国
統領政府…1799年第2回対仏大同盟の成立→ナポレオンがブリュメール18日のクーデタでみずから第一統領となり独裁権をにぎる。
ナポレオン帝国…1802年イギリスと和約、1804年ナポレオン法典を発布。皇帝となる。第3回対仏大同盟→トラファルガーの海戦。ライン同盟の結成 (神聖ローマ帝国解体)。1805年アウステルリッツの三帝会戦→1806年大陸封鎖令→1807年ティルジット条約。1812年ロシア遠征失敗→ライプツィヒの戦い(諸国民戦争)に敗北→ブルボン朝復活→1815年ナポレオンは復位したがワープルローの戦いで敗北。
ナポレオン法典は、法の基の平等・経済活動の自由などが定められる。ナポレオンのヨーロッパ支配により、自由・平等の革命の理念が広まった。