情報過多時代のSNSとの付き合い方
今年の夏頃までだろうか。私はSNSと距離を置いていた。いわゆるSNS疲れを起こしていた。
たくさんの投稿から溢れる情報に、思考も気持ちも思っている以上に影響をうけ、時間だけがあっという間に過ぎていた。
コンディションの悪い日なんかは、美しく輝く素敵な誰かの日常と、起きたばかりの化粧気のない自分を比べて、その日1日を曇天の空のような、薄暗い気分で過ごすことだって少なくなかった。そんな日々に嫌気がさし、SNSから溢れる情報から距離を置くようになっていた。
SNSを開かない毎日は、とても静かで穏やかで、自分の時間が取り戻せたようで、それはそれで気に入っていた。
ただ、子供の頃に誰かと喧嘩した時にそうだったように、距離を置いた相手ほど、やたらと気になってしまうもので、SNSもまた、気になる存在として頭の片隅に置かれたままだった。
現代には新しいサービスや商品がどんどん生まれてくる。
どれも、こんなものがあったらいいのにな。とその昔何処かで夢のように描いたようなものだったりもする。便利で、楽しくて、キラキラとしていて。
わたしにとって、SNSの中の世界も、魅力的で、好奇心をくすぐるものばかりなんだ。
使い方こそ簡単に操作できるものだから、気がつけば、すっかりとりこいなっているのだけど、使い手のわたしの心がついていかないんだ。
どんな心構えで、どんなふうに使うことで、自分の人生がより良い未来へと迎えるのか。そういうことは誰も教えてくれるものではない。
現代というのは、使い方は簡単にわかるようになっているけど、どのように使うのかは、誰も教えてはくれない。じぶんで決める力が必要な時代だからなのだろう。
SNS疲れから半年ほど経過した私は、自分なりのルールを決めることにした。
以前は「好きなもの、欲しいもの、憧れてしまうような非日常」を闇雲にフォローしていた。よく考えたら、どうやら自分にはないものを次から次にフォローしていたのかもしれない。
その反動から今の自分が空虚なものに感じてしまったり、欲ばかりが強くなって、毎日の自分の暮らしが色褪せて見えてしまったのだ。
その反省を生かして、これからは自分が向き合い続けたいテーマや、見本となる生き方を体現しているアカウントをフォローしてみようと思っている。無いものを羨ましく眺めるようにSNSを使っていたけれど、これからは、じぶんを大切にするためにSNSを使うことにしたのだ。
これからは、SNSを通じて多くの素敵な人たちと出会い、自分の世界を広げて、情報過多な時代をようやく楽しんでいけそうな気がしている。