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今年の夏頃までだろうか。私はSNSと距離を置いていた。いわゆるSNS疲れを起こしていた。 たくさんの投稿から溢れる情報に、思考も気持ちも思っている以上に影響をうけ、時間だけがあっという間に過ぎていた。 コンディションの悪い日なんかは、美しく輝く素敵な誰かの日常と、起きたばかりの化粧気のない自分を比べて、その日1日を曇天の空のような、薄暗い気分で過ごすことだって少なくなかった。そんな日々に嫌気がさし、SNSから溢れる情報から距離を置くようになっていた。 SNSを開かない毎
4月から京都芸術大学通信制の文芸コースに入学した。気がつけば大学に入学して早くも半年が経過していた。この節目に、大学に入学を決めたことや、入学後に感じたことなど、これまでを振り返ってみようと思う。 大学に入学した理由は、40代になっても忘れることがなかった進学しなかったことへの後悔だった。 大学へ進学を決めるはずの18歳の当時、我が家では母が大病を患っていた。母の病気の心配はもちろんだが、勉強をする時間を削りながら、家族で家事を分担しなければならなかったことや、長く続く母
やりたいことと、すべきこと。そのせめぎ合いの毎日で、どちらを優先するかといえば、大抵すべきことを優先する。 やりたい事が、今日もできなかった。という不満のカケラが積もると、いつもと違うことが刺激的で魅力的に見える。「すべきこと。」は、全然魅力的でもなければ、当たり前すぎて刺激的でもなくて、退屈。料理に、掃除に、洗濯に、やってもやっても、また増えて。いつになっても終わらないんだから。 だからいつの日だったか、思い切って「やりたいこと」しかしない日を過ごした。欲しいものを欲し
いつからだろうか、新月や満月の日に願い事をノートに書くことが習慣になった。月に2回ほどこれから叶えたい10個の願いをノートに書き出してみる。するとノートの中は、まるで宝石のように輝く希望に満ちた言葉たちで溢れていた。 ふと過去の願いを振り返ってみると、どれもこれも眩い言葉たちが並んでいて、なんだかそれは、自分が書いたものと思うことができなかった。叶った願いもあれば、手放してしまったものも、すでに辞めてしまったものの多さに気がついた。そもそもわたしが本当に望んでいたことだ
合理的に考えれば考えるほど、本質的な幸せとはどんどん離れていくように感じるから。 非合理な方を選んでみたいなって、そう思う。 ミュージカルのオーディションのシーンを仕事の関係で生まれて初めて見ることになった。 応募してくれる子供たちの熱意は、合理性なんてなくて、ただ一生懸命に今に熱量を傾けて挑む。 その姿勢に感動してしまって。 合理的で、少しでも楽に、少しでも多くを手に入れたいなんて望む気持ちをもっている自分がすごく嫌だった。 面倒くさくて、予測もできなくて、無駄
茹だるような酷暑を乗り越え、穀物が実る秋の風を感じる季節となりました。 暑すぎる夏のおかげで、外出の機会は格段に減り、今年の夏は自分との対話に勤しむ時間を過ごした。 じぶんとの対話に一区切りをつけて、きょうは久しぶりに文章を書くことにした。 これまでわたしは、いくつかの文章を書いてきた。メディアでのモノの紹介、地域の魅力、ちょっとしたストーリーテリング、綺麗な言葉。書いても書いても、どこからか生まれてくる「書けない」という焦る気持ち。それはちょっとやそっとの焦りなんかじゃ
あなたは、何をしている時が幸せ?と聞かれたら、どう答えますか? 「美味しいものを食べているとき」と答える方も少なくないのではないでしょうか? 私も、「美味しいものを食べる」って、人生の中の優先順位も高いし、幸せだなって思える瞬間の一つだと感じています。 「美味しい」は育てられる人はこれまで数多くの危機や環境の変化に適合してきました。 現代のように、食べ物だって安定して食べられる状況にあったわけでもありません。生き残るためには、その時に応じて、色々な物を食べる必要があり
寝ても覚めても、毎日ハーブのことを考えています。 もちろんずっと考えているわけではないけど、頭の隅っこの方に、ぼんやりといつもハーブがある感じ。 なぜこんなに薬用植物に惹かれるのかなというのも、いつも考えていることのひとつで、気がつけば、ハーブの世界の何がここまで私をひきつけるのだろうと思いを募らせています。 ふと浮かんだ、その理由の一つを今日は言葉にしてみたいなと思います。 茶道とハーブには共通点があるかもしれない。私は、ハーブの他に、日本の文化である茶道の世界にも、
植物の生き方を学ばせていただいている、Kigiの波多野ゆふさんとご一緒に、ワークショップを開催いたします。 古来から、人々は色々な方法で季節を感じる暮らしを大切にしてきました。 季節や自然を愛でる日本庭園を初め、茶道文化でも、外の景色を茶席に移します。 人は自然を感じ、季節が移りゆくさまに、安堵を感じ日々の喜びと癒しとなることを知っていたからなのだと思っています。 今回のワークショップでは、季節を感じることを忘れがちな現代の暮らしの中で、ふと自然を思い出せるようなプロ
春の花が次々と咲いて、外にでるだけで、幸福感に溢れる春の気配を感じています。 季節は雨水。 冬の固い土に水分が含まれて、土の中の生き物たちも動き始めます。 植物学を研究している先生と、街をあるくと、世界を見る目が変わってくるのですが、 植物は、虫や鳥を呼び、受粉を手伝ってもらい、命を繋ぐことを、生存戦略として選んだ そして、虫や鳥の栄養となる成分を作り、お礼としてお返しをする。 なんて優しい生き方なんだろう。 きっとこれからの時代は、植物から生き方を学ぶことも必
さむくて、いろんなことが捗らない毎日ですが、それもそれで、冬らしい毎日です。 ようやくまとまった、立春の養生茶は、滞りなく明日販売開始ができそうです。 ヨーロッパでは、昔から欠かすことのできない植物だったそうで、昔々の春季療法のレシピにもメインの植物として登場する、ネトルという植物をベースにブレンドしました。 ネトルは、血液浄化の作用が期待できるハーブで、春のムズムズとした季節にも、その成分は有効と重宝されているます。 ネトルの他には、爽快感のあるペパーミント、風の引き
2月3日節分 節分は、季節の始まりの日(立春・立夏・立秋・立冬)の前日で雑節のこと。 その昔は、季節ごとに節分という季節の節目を大切にしていました。現代では、その中でも代表的な2月3日を「節分」と呼んでいます。 落とすべきものを落として、季節をまたぐ日。 鬼とは、なにか鬼というものは、一体なんだったのか、これまで深く考えることもありませんでしたが、今年の節分を迎えて、鬼というものが、一体何だったのかと、無性に気になってしまいました。 鬼というものは、怪物の一つではな
彼岸花と呼ばれる、曼珠沙華の花が今年も一斉に咲き始めました。 曼珠沙華の花が咲くのは、わずか1週間の間。 その間に私たちの体も意識も、夏から秋へと、すっかりと移っていくのだから不思議なものです。 曼珠沙華の花を見ると、どうしてか懐かしい思い出に記憶がタイムスリップしてしまいます。 祖母との思い出や、幼かった頃のこと。 先祖を敬う彼岸の頃にさくこの花には、もしかしたら特別な力が備わっているのかもしれないなと、今年も少し足を止めて、過ぎた日々を思い出しています。
今年の夏はとにかく暑い夏でした。 こんなにも夏が暑くなったのは、一体いつからなのだろうと毎年思いながら、地球の危機を感じ、人の暮らしの在り方を、改めて考える夏となりました。 暑い夏の日差しの中に、冷たさの混じった風が吹き始め、「あれ?なんか涼しいな」と、僅かな風の変化が、毎年変わらず秋の知らせを届けてくれて、あたりを見回せば、秋の草花がめに止まる季節に変わっていました。 ススキに、萩の花、オミナエシ。 華美な華やかさはないけれど、線の細く楚々とした美しい草花たちは、秋
神様から授かった 私の足は 大好きな人に会いに行くために 大好きな場所に行くために 私の手は 大好きな人に触れるために 自分を温めるために 私の耳は 美しい声を聞くために 優しい歌を聴くために 私の声は 優しい声をかけるために 深い愛を伝えるために 大切な事なのに 忘れてしまいそうになるけれど 思い出すたびに涙があふれるほど 命は尊くて 果てしなく愛に溢れている そして私も、あなたも そういう存在なんだ
梅雨らしく雨が続いています。太陽がのぞけば、もうすっかりと夏の気を感じるほどになりました。 一年がすでに折り返しを迎えたのですね。 私が子供だった頃のなつとは、様相の変わった夏ですが、それでも私は、夏という特別な季節が、いまでも大好きです。 1.記憶の中の美しい夏の刻 昔の夏といえば、夜になると、日中とは違い、少しだけ涼しさが戻ってきたものです。 「夕涼み」という、涼やかな響きの言葉もあるくらい、過ごしやすく、体のほてりを癒す時間帯というものが存在していました。 私