「柔軟心」とは?ゆるく生きたいわたしにぴったりな言葉だった
Instagramを見ていたら、突然わたしの心に刺さった『柔軟心』という言葉。
「じゅうなんしん?」と読んでしまいそうだが、柔軟心(にゅうなんしん)と読む。
禅語で、「柔らかく、しなやかな心で生きなさい」という教えが込められている。
映画のタイトルになった『日日是好日(にちにちこれこうじつ)』も禅語で、「どんな日もかけがいのない大切な一日」という教えなんだとか。
禅については、こちらの記事をどうぞ。
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以前のわたしは柔らかさのかけらもなく、体も頭の中もカチカチに硬かった。笑
固定観念、先入観、思い込み…。
こうでなければいけない。
そんな思いが強かった気がする。
わたしは小さいころから絵を描くのが好きで、自分のアイデンティティだと思っていた。
そのため、漫画家やイラストレーター、グラフィックデザイナーに憧れた。
縁あって、グラフィックデザインを仕事にしたこともある。
だが、続かなかった。
自分にはデザインの才能がないと知っていたからだ。
ただ、それを認めたら、自分が自分でなくなる。
そうなるのが怖くて、知らんぷりをした。
そして、いろんな方向性を考え、WEBデザインのオンラインスクールで勉強もした。
でも、常に微妙な違和感がつきまとった。
「こうでなければいけない」という思い込みが、才能のない自分を苦しめていたのだ。
あるとき、思い込みを手放した。
絵を描かなくなったし、ずっと契約していたAdobeのIllustratorも解約した。
なにもない自分になった。
でも、なにもない自分になったおかげで、生きるのが楽になった。
大好きだった絵を描くという行為は、いつからかわたしの虚栄心を満たすものに変わっていたのだと、あとになって気づいた。
絵やデザインでお金を稼げなくたって、ただ楽しめばよかったんだ。
先日、アートの体験イベントに参加した。
久しぶりに色を塗る体験をしたのだが、とても楽しかった。
やっぱり絵を描くのは好きだと思えた。
なにもない自分になってから思う。
それは、思い込みにとらわれずに、心の向くままに生きていくと意外な道が見つかるのかもしれないということ。
小学生のころは作文が大嫌いだったわたし。
しかし、お金稼ぎで始めたライターの仕事から、文章の奥深さを知った。
今は、noteの記事を考える時間が楽しい。
だからといって、「これを仕事に!」みたいな野心はない。
仕事になると求められることも増えてくるし、自由度は減るだろう。
自分の書きたいことを書いて【スキ】がいただけたのなら、それだけで充分だ。
固定観念や先入観、思い込みを捨てたい。
自分が楽しいと思えることをしたい。
自分にも他人にも柔らかな心で接したい。
『柔軟心』という言葉は、わたしの座右の銘にしたいと思う。
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