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(仮)台湾旅行記:祈りを35mmに

台北近郊には、2つの空港がある。台北駅からわずか10kmにも満たない距離に、台北松山空港、そして台北から50kmほど離れたところにある、台湾桃園国際空港。僕たちが着いたのは、後者の桃園国際空港である。

2017年、桃園国際空港と台北を一本で結ぶメトロが開通し、この空港も非常に使いやすくなったそうだ。僕は2018年に一度台湾を訪れただけなので、その前の出来事に関しては知らないが、たしかにこのメトロは使いやすかったのを記憶している。
日本円にして500円程度だが、40分ほどで台北まで向かうことができるすぐれものだ。車内は冷房が効いていて、空港から一度も足を出さずに直接プラットホームまで向かうことができる。台湾の蒸し暑さと直面するのは、駅を出るまでお預けというわけだ。(実際のところ、僕は空港に着いてすぐに耐えようのない喫煙欲に襲われ、それに負けるかたちで空港の外へ出ている。台湾は、屋内喫煙のできない国なのだ。したがって喫煙所は、どこも屋外に設置されている。当然、日本のような喫煙室を備えたカフェや居酒屋などはない。神よ、喫煙衝動という言い訳の下に禁煙にn回失敗している自堕落な僕を許しておくれ。)

台北駅に着いたのは、午前11時ごろ。宿へのチェックインが16時だったので、それまで近くの街を散策する。
「台湾はもう梅雨入りしているから、天候には期待できないだろう」という懸念のもと、ある程度対策は練っていたのだが、やはり雨が降っていると気分は落ちるものだ。
台北駅から歩いて10分ほどのところに、西門という地域がある。僕は以前、この周辺にあるホステルに宿泊していたので、このあたりの地理に関しては記憶が残っていた。いわゆる西門は、日本でいうところの原宿にあたる街であり、台湾のトレンド、若者のカルチャーが一挙に押し寄せてくる場所でもある。雨にもかかわらず、ここには台湾の多くの若者が行き交っていた。雨なので写真を撮るわけにもいかず、昼食を取ったあと、近くのカフェに向かった。昼食を食べる時間より、昼食を何にするか決めるのに1時間くらいかかったような気もするが、まあそんなことはどうでもいい。

近くのカフェは、僕も以前何度か訪れたことのある「NOTCH 珈琲工房」というお店だ。「NOTCH」という大きな看板の目立つ外観とは裏腹に、内装はレトロで非常に味わい深い。僕はここのカプチーノをアイスでいただくのが好きで、今回もそのようにした。

そういえば台湾のカフェでは当たり前のことなのだが、ここでは砂糖を入れないアメリカンスタイルはあまり主流ではないらしく、元から砂糖が入っている珈琲、茶が多い。もちろんアメリカーノもストレートのブラックティーも存在するものの、注文後、最初に聞かれるのは「How about sugar?」だ。レギュラー、レス、ハーフ、ゼロ、みたいな感じで、4段階で選ばせるお店が多かったことを記憶している。その後、コールドドリンクの場合、氷の量を選ばせる。雨天ではあったが、日本とは明らかに異質な天候に、正直体は悲鳴をあげていた。僕は砂糖も氷もレギュラーで注文した。

席に腰掛けて1時間ほど、Wi-Fiという名の呪縛装置によってスマホに目を縛られてしまっていた。しかしそれからほどなくして、僕は意識を失った。
疲れからか、僕はどうやら席で居眠りをしてしまっていたようだ。
なにせ前日の夜から一睡もせず、飛行機の中でも終わりかけの短編小説の続きが妙に気になり、結局解説までしっかり読んでしまったからだ。
グラスはすでに大量の汗をかき、せっかくのエスプレッソが台無しになっていた。僕はそれを飲み干して、カフェをあとにした。

宿のチェックインを済ませた。
友人には本当に申し訳ないと思っているのだが、僕は普段からホテルに泊まる性分ではないので、どこへいっても可能な限りホステルかゲストハウスに泊まる。
ホステルというのは、ホテルとは違って、基本的に宿のほとんどが共有スペースとなっているものである。シャワー、トイレ、ダイニングから、ベッドに至るまで、なんでも共有してしまう。もちろんベッドを共有といっても、2段ベッドが一つの部屋に3つから4つ備え付けられていて、それぞれのプライバシーはカーテンなどで仕切られている。とはいえ、部屋の中では基本「お静かに」がルール。宿での生活がベースではなく、外へ足を運ぶ旅のスタイルなら、正直何も困らない。おまけに宿泊料金は、その脅威のシェアリングシステムによってかなり低価格に抑えられている。寝るためだけに宿をとっていると言っても過言ではない。

文字通り重荷を下ろし(正確には、僕は上段のベッドだったため、むしろあげているのだが)、ひとしきりホステルのスペックを確かめたのち、夜に友人と会う約束までまだ時間があったものだから、その間の過ごし方を二人で話し合った。出た結論は「写真を撮りに行こう」だった。

外に出ると、驚いたことに日が差していた。おや、台湾は梅雨に入ったのではなかったのか。考えてみれば当然のことなのだが、台湾は亜熱帯気候に分布する国であるため、いわゆるスコールといった突発的な豪雨が発生したりと、天気が変わりやすい国でもある。だから、晴れているのはもしかすると当たり前なのかもしれない。
友人とは、東門という地下鉄の駅で落ち合う予定だった。ホステルから東門までは3km強。正直、台北から地下鉄に乗ってもよかったが、せっかく晴れているし、もしかするとこれが最後のお日様かもしれないとも思っていたため、歩いて行くことにした。途中、僕たちは色んなものを見つけては、思い思いにシャッターを切っていった。

写真自体は、全てではないにしろ、9割近くをフィルムカメラで撮影した。前回の記事でも多少言及したが、フィルムは現像してからでないと写真を確認することはできない。
これらは全て日本に帰国してから現像したものであるので、「こんな写真を撮っていたのか!」という驚きが楽しみでもある。

しかし、それと同時に、ある一つの奇妙な感覚が、僕を襲った。

どれもこれも、まるで台湾だとわからないじゃないか!

たしかに、いや、まず間違いなく僕は台湾にいたし、そこでカメラを構えていたのも事実であるはずなのに、僕が撮影した写真はどれもこれも、台湾の片鱗や象徴的な記号を写したものではなく、ただの壁やただの夕焼け、「綺麗」な光などなど、日本でも撮れそうな写真ばかりだった。
もちろん、僕はお金をいただいて日本人向けに台湾の観光特集用の写真を撮影しているわけではないので、どんな写真を撮ろうと僕の自由だが、ここまで自分が台湾を求めていなかったことに、ある意味「引いた」のだ。
では僕は、何を求めて、何に惹かれてファインダーを覗き、そしてシャッターを切ったのだろうか。

答えは明確だった。
僕はあくまで、新しいおもちゃを手に入れたことが嬉しくてたまらなかったのだ。デジタルカメラとは違う、新しい出会い。そしてその一枚一枚を「丁寧に」紡ぐ撮影という営み。
フィルムとデジタルでは、ひとえに違うとは言い切れないけれど、その特性によって我々人間側が「丁寧に撮らなければならない」という観念に逆に取り憑かれているともいえる。
僕にとっての台湾旅行は、友人と会い、異国を満喫するという表向きの目的をはらんだものとは別に、新しく買った今までとは違うカメラで、今までの自分とは生まれ変わりたい、という自らの祈りを、そのフィルムに焼き付けたかったという都合のいいものでもあったのかもしれない。
まるで今までの自分の写真、自分の人生、それらと向き合うのをやめ、機材という記号に勝手な都合をつけ、それが自分を助けてくれるかのように祈りをこめて。

当然、それで僕の自尊心が癒えるわけでも、また写真がうまくなるわけでもなかった。非日常に身をおけば、視点の一つや二つ、変わるかもしれぬと思ったことはあったが、そうではなかったようだ。僕が求めていたのは「光」であって、それは日本にいようが台湾にいようが、必ずやってくる。
「写真」とは「photograph」であり、これは光で描くという語源からきている、そんなよくある話からわかるように、光がなければ、写真を撮ることはできない。だからこそ、僕は知らず知らずのうちに、「わかりやすい光」を求めていたのだ。
あのまばゆい光を綺麗に残そうと、なんてことはない植木鉢とともに、どこにでもありそうな、片側三車線の道路とともに。

---人はわかりやすい真実を求める。---
「こうあってほしい」という希望的観測が、僕の無意識下で如何なく発揮され、そして写真として写し出された。それだけのことだ。

友人はある夜、こんなことを言っていた。
「写真でだけは、嘘をつきたくない」

写真で嘘をつこうが、本当のことを伝えようが、そんなことはどちらでもいい。そういったことに関しては、下記のnoteでも言及している。

僕はというと、写真で嘘をつこうとして、しまいには自分で本当の気持ちを見つけてしまったということだ。だからといって、僕自身が何か罪に追われるわけでも、刑に処されるわけでもないけれど、僕はこうあってほしいという祈りを、自らの手で打ち砕いてしまっていたのかもしれない。

結局、東門に着くまで写真を撮りすぎたせいで、待ち合わせの時間には遅刻した。その後、友人に小籠包の美味しいお店に連れて行ってもらった。小籠包の写真は、面白いことに1枚も撮っていなかった。
これ以上、自分の無力さと向き合いたくなかったからなのか、それともただただ、小籠包が美味しかったからなのか、今となっては知る由もない。


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