見出し画像

《ドMの晩酌:第七夜》 役に立たない牧羊犬

お母さん、僕、犬を飼いたい

仕事から帰宅して、私が一番最初にすることは掃除機をかけることだ。

なぜなら、息子たちが学校から帰宅後に食べたお菓子のかけらがカッピカピになって、まるで「マキビシ」の様に床に散乱しているからだ。

それだけでなく、お煎餅などを個装している袋も床に散乱している。

当然、それらはソファーの隙間にも、しっかりはさまっている。

「もー、お菓子のかけらやら、袋やら、捨てられないの?」と、ブツブツ言いながら掃除機をかけていると「ウィーーーーン」とワントーン高い音が掃除機から聞こえる。私が見落とした個装の袋を吸い込んでしまったためだ。

ゴミすら捨てられない息子たちと、完璧に拾ったつもりの自分がミスを犯していることの両方に腹が立ち、私の怒りはマックスになる。

しかし、これも日課にになっているため、息子たちの行動に変化は全く見られない。

よく考えてみると、年老いた私の父が、母に「電気つけっぱなし!」「ゴミ捨ててよ!」と年中怒鳴られまくっているわけだから、うちの家系の男子に行動の変化を求めようってほうが無茶なのかもしれない。

掃除機の詰まりを必死に解消しようとしている私に向かって、全く空気を読まない次男が「お母さーん! 僕、犬を買いたいよー」と言ってきた。

「(オ、オマエ、母さんが今、何してるかわかっていないのか?)」

とイライラするが、帰宅早々怒りマックス×2は、こっちだってごめんだ。

ここは深呼吸して「あんたたちを育てるだけでもめちゃくちゃ大変なのに、犬の世話も増えたら、母さん倒れるってば!」と、ぐうの音も出ない返しでトドメを刺し、夕飯の支度やらを始める。

とはいえ、実は私も犬が好きだ。

実家に住んでいる時にも雑種やパグ犬を飼っていたし。

・・・おっと、このことを書き始めると、私の母のとんでもない犬話の数々に触れることになるので、一旦忘れることにしよう。


話す相手は壁でもいい

今日の晩酌は、もちろん、キンッキンに冷えたアサヒスタイルフリー。

「ノリコ、今日もマキビシ攻撃に負けず頑張ったね。」と私に声をかけてくれているのが聞こえる(聞こえない)

そしてツマミには、カマンベールチーズをチョイス。

うちの息子たちはチーズ好きだが、プロセスチーズ以外の存在を知らないため、いまだに手を出して来ない。

ふっふっふ、お子様め。

日々の食事を用意する中で、息子たちの食わず嫌いに何度ムカついたかわからないが、こういう時だけは、彼らのそれに心から感謝してしまう。


飲みながら、ボンヤリ犬のことを考えていた。

もし飼うなら、どんな犬種がいいかな。

またパグも飼いたいという思いもあるけれど、草原を息子たちや犬と走り回る映像が浮かぶ。

コリー犬も可愛いな。

そういえば、子供の頃に観ていたドラマ「名犬ラッシー」のオープニングテーマ、途中から変わったけど、なんか変な曲だったな。

あ、ちがうちがう。

ボーダーコリーも可愛いな。

羊の群れをバババーッとまとめ上げる牧羊犬の様って、見ていて気持ちが良いよな。

ビール2缶目に突入する頃、ふいに母親の姉たちが我が家にやってきた日の記憶がよみがえってきた。

*******

あれは私が大学3年か4年の時のことだった。

私の母の姉3名が我が家に泊まりに来たことがあった。
私の母は7人兄妹で、7人中6人が女。全員北海道在住ではあるものの、下から2番目の私の母だけが遠方に住んでいるため、会うときは私たちが出向くのが常だった。だから、何の理由で彼女たちがわざわざ遊びにきてくれたのかは分からない。

私の母親曰く「私が兄妹の中で一番しっかりしている」と豪語しているが、私からすると、どの女たちもゴーイングマイウェイ過ぎる存在だ。


これは女性によくある傾向かもしれないが、目の前にいるのが人でなく壁であったとしても、自分が話したいことを話し、もちろん相槌なんて聞きもせず、次から次へと話題を変えていく。

そんなオバさんが私の母を含め六人もいる。私は幼少期から、彼女たちを不思議な存在として観察し続けてきたが、もちろんドM道を極めるには最適な対象なので、全く聞いてはもらえない相槌を返し続けている。

常に自己評価百点のレベルをキープしているつもりだが、彼女たちの記憶には1ミリも残ってはいないはずだ。

だって、ずぇんずぇん聞いてないんだもん。
なんなら、6人とも壁に向かって同時に話しているようなもんだから。

そんなツワモノ3名が、我が家にやってきたのである。


父の偉大さ

当時、二十歳だった私は、叔母たちに自分の成長を見せようと、自分が運転する車に乗せてどこかに連れて行ってあげるプランを考えていた。

自宅に他人がいることを好まない母親の思いを汲む意味もあったはずだ。

さっそく叔母たちに希望を聞くと「イオンに行きたい」という、「なんで?」と思うような返事が返ってきた。


私が住む千歳市では、観光といえばサーモンパークや支笏湖、ノーザンホースパークなどがあるが、どれも心からお勧めできるスポットでもないし、まぁ、オバさんたちはお買い物が好きですもんね。

ということで、母を家で休ませ、私は叔母3名を車に乗せイオン千歳店に向かった。

もちろん車内でも、叔母たちはそれぞれ何かを話している。

互いの会話が噛み合っていないどころか、同時に声を発したりしているので、やはり相手は「壁」的な存在なんだろう。


店に入った途端、叔母たちは私の想像を越える、ドMを発揮させる行動に出た。

つまり、のっけから3人とも散り散りで歩き出したのだ。


叔母Aは生鮮食料品売り場へ。
遠くから来てるのに、なんでまた日持ちのしないコーナーに行こうと思ったのだろうか。さすがだ。

叔母Bは日曜雑貨コーナーへ。
これは、まぁ想定の範囲内だ。

そして叔母Cは寝具コーナーへ向かっているようだ。
ベッドとか持ち帰れないような物を買っていたら、逆に面白い。

画像1

とりあえず、私は叔母Aに伴走しながら、遠方に見える2人を常にマークする。

そして、その叔母に「そろそろ●●叔母さんのいるところに行かない?」と、やんわり提案するも無視される。

次に叔母BとCそれぞれに同様のトライをしてみるものの、当然聞き入れてもらえない。

「この人たちは、はぐれる恐れとか、待たせる迷惑とか、全く考えていないんだな。すげーな。」

その時、私が幼少の頃、親戚一同でレジャーに出かけた際の父親の姿が浮かんだ。

母の兄妹の中では、当然、私の父はアウェイな存在だ。

観光地を一通り見終わり退屈している私が父にこう言った。

「お父さん、もう帰ろうよ。飽きたよ。なんで叔母さんたちは戻ってこないの? お父さん呼びに行ってよ!」

すると父は「いや、ここで待とう」と妙に悟った様な表情で、私の駄々を制した。

*******

あれから叔母たちはフロアすらまたいで、バラバラに行動していた。

幸い、3人ともパーマのロッドを外したてのようなクルンクルンのショートヘアな上に、背が高いので、店の陳列棚の上から頭部がはみ出し目で追える。

私は無駄なエネルギーを使うことをやめて、遠くから3人の叔母を見守っていた。

牧羊犬の様にサササーッと叔母たちを一か所にまとめる自分をイメージしていたのにな、と思いながら。

すると、かなりの時間が経過したものの、ほぼ近しいタイミングで叔母たちは私の元に戻ってきた。

まるで予め何かが彼女たちにインストールされていて、お互い、気が済んだところで引き合うようにプログラムされているかのようだった。これには心底ビックリした。


最初っから放っておけばよかったんだ。
父はそのことを知ってたんだ。


父の偉大さを知った貴重な一日だった。

とか、美しい言葉で締め括りたいところだが、いやいやいや、事前に教えておいてよ!と、父を責めたい気持ちが今更ながらに湧いた今夜の晩酌であった。


 ノリコ二十歳。

母や叔母のことを、自分とは全く共通項のない異質な存在と思い込んでいるが、実は、その成分がしっかりと染み込んでいることに、当時の彼女はまだ気が付いていない。

(イラスト:まつばら あや)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?