人生を照らすわなvol.2
『人生は緊急かつ重要なサムシングで満ちあふれている』
先日、福井市立美術館へ。
私の父の作品が全人類羨望の的とも云える賞を獲ったとの事で、拝見しに行ったのです。
ちなみに、我が家は私が長い旅から帰って来た当初、家相的にあまりよろしく無かったので、お札を貼ったり、木を置いたり、鏡を置いたりなどなどの事をしました。すると、どうでしょう❔あれよあれよという間に父の作品が人目に触れるようになったのです。私は「わしのお陰や」と思っているのですが、そういうのは中々伝わらないもので、私は家族から「変な石を置く人」「部屋をジャングルにする人」として、東京都知事選に突如現れた表現の自由を求める人と同じような扱いを受けています。
余談ですが、私は供託金をいくら釣り上げても、スーパークレイジー君的な候補者はいなくならないと考えています。
というのも…変な候補者が現れる度に「供託金を釣り上げた方がいいのでは…❔」という議論が巻き起こり、その度に供託金が釣り上がれば誰が得をするか…大体分かりそうなもんじゃないですか❔
ま、その話は置いておいて…
その美術館の帰路、私は石の上を必死でロッククライミング🧗する、みの虫に出会ったのです。
彼(彼女かもしれませんが)としてはエサを探してうろついていたら、たまたま石の上に来たのか、暖かいと思って来たら、逆に暑いので木陰を求めて移動中なのか、そこら辺は分かりませんが、とにかく必死だという事は伝わってきます。
私たち人の一生も似たようなもんだなぁと。
働いて働いて、たまに休めると思ったらなんじゃかんじゃと予定を入れられて、少し時間が空くとパチンコへという方が多いのではないかと。
パチンコがストレス発散になればいいですが、負けて逆にストレスになっては元も子もないです。
であれば空いた時間を本当の意味でのストレス発散に使わないともったいないのではないかと。
というわけで私は実は減らした事が一つあります。
それは旧Twitterの更新頻度です。
見られる機会も少なく、見られるのを企図して炎上覚悟で投稿すれば、それもそれでストレスになります。
上手にストレスと付き合わないと件の、みの虫君のように一生、動き回っているだけの人生になりかねないのではないかと、そんな事を考えさせてくれたみの虫君なのでした。