かなえたい夢vol.2『劉備玄徳はくるくるパーのヤクザもんか?』
叶えたい夢vol.2『アジアでなけりゃならないのは劉備玄徳のドラマか何かをつくりたいからです』
以前、アジアの大スターになりたいという夢を書きました。
では何故、アジアの大スターを望んだのか❔単なる大風呂敷かというとそれにはそれなりのアジアでなければならない理由があるのです。
⭐️劉備玄徳はくるくるパーのヤクザもん❔
かつて、三国志演義では劉備玄徳が善人で曹操が悪役という単純な色分けが行われていました。
しかし、近年ではそのような単純な色分けは薄められ、曹操は度量のある理想的な上司、劉備玄徳は勉強嫌いのヤクザもんという描写も増えてきました。しかしながら、この描写もなんか違うんじゃないかなぁと。
曹操は確かに袁紹に比べれば度量があるとは思いますが、意見の合わなくなった荀彧を切り捨てるなど、酷薄な面もあるにはあります。
また、劉備玄徳は遺言で韓非子について言及するなど、勉強嫌いのヤクザもんでは片付けられない一面も見せています。
光武帝劉秀には及ばずとも高祖劉邦よりは一枚上手の人物だったのではないかと思われるのです。
また、遺言で劉備玄徳は六韜という兵法書を読めと勧めているものの孫子という有名な兵法書については言及していません。そして、馬謖についても、「馬謖は自分の実力以上の事を口にする故、彼に重要な仕事を任せてはいけない。そなたはそれを忘れずにな」と宰相の諸葛亮孔明に釘を刺しています。
それについても何かトラウマになるような出来事があったのではないかな…と。
孫子については内容は確かに立派ですが、史料があまりにもないので実在が疑問視されています。
加えて史記の中の事績はただのヤバい奴にしか私には見えません。
女官達を集めて王の前でデモンストレーションを見せてくれと言った時のアレです。
呉王、闔閭「先生の著作十三篇はすべて読んだが、宮中の婦人で、少し軍の指揮を見せてもらうことはできるか」
孫武(孫子の著者)はこれを了承した。孫武は宮中の美女180人を集合させて二つの部隊とし、武器を持たせて整列させ、王の寵姫二人を各隊の隊長に任命した。
孫武が「左右前後がわかるか」と聞くと、一同「わかります」と答えた。孫武は「前といえば胸を、左と言えば左側、右と言えば右側、後ろと言えば背側を見よ」と言った。女性たちは「わかりました」と答えた。そこで将軍の印の鉄斧を置き、命令をはじめた。太鼓を打って「右!」と号令すると、宮女たちはどっと笑った。
孫武は「命令が不明確で徹底せざるは、将の罪なり」と言い、命令を何度も繰り返した後に「左!」と太鼓を打つと、また宮女たちはどっと笑った。
孫武は「命令が既に明確なのに実行されないのは、指揮官の罪なり」と言って、隊長の二人を斬首しようとした。壇上で見ていた闔閭は驚き「将軍の腕は既によくわかった。余はその二人がいないと飯もうまくないので、斬るのはやめてくれ」と止めようとしたが、孫武は「一たび将軍として任命を受けた以上、陣中にあっては君命でも従いかねる事がございます」と闔閭の寵姫を二人とも斬ってしまった。そして新たな隊長を選び号令を行うと、今度は女性部隊は命令どおり進退し、粛然声を出すものもなかった。
孫武は「兵は既に整いました。降りてきて見ていただきたい。水火の中へもゆくでしょう」と言ったが、闔閭は甚だ不興で「将軍はそろそろ帰られるがよろしい、余はそこに行きたくはない」と言った。孫武は「王は言を好まれても、実践はできないのですね」と答えた。以後、闔閭は孫武の軍事の才を認めて将軍に任じたのである。
この事績について、このくらい厳しくないといけないと息巻くようなイタイ人物がいたとしたら、恐らく三国志に出てくる袁紹配下の審配とか逢紀と言ったトラブルメーカーの類じゃないかと。
劉備玄徳は一時期、袁紹の元にいて審配や逢紀に会った事もあるはずなので、そいつらに孫武の事績を美化させて孫子にトラウマを植え付けるというストーリーも面白いなと。
また、夷陵の戦いで劉備玄徳は全くの部外者である魏の曹丕から「劉備は負けるぞ」と言われてしまうようなヘンテコな陣を山の上に布いていますが、山の上という共通点がかつて街亭でボロ負けした馬謖と重なる点があるので、馬謖による献策が夷陵の戦いでもあったというストーリーなども面白いかなと。
そういった一面を見せられるドラマか何か出来ないものか、そのような事を考えているのです。