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パワスポ封廻状vol.3

『城南宮の御神威はすごい👍のですが…』
かつて、平安時代末期、摂関家の藤原氏を抑えて、絶大な権力を誇った白河天皇という人物がいました。
後の世に院政 と呼ばれる政治です。
もっとも彼が絶大な権力 を振るうようになったのは法皇になってからで、それ以前は藤原氏と協調して政治を行っていたようです。
しかし、関白、藤原師通の働き盛りな年齢での急逝による摂関家内部の混乱と、それに続く堀河天皇の崩御、その皇子で白河法皇の孫である第74代鳥羽天皇の即位がきっかけで、摂関政治が機能停止に陥り、父院である白河法皇が摂関に替わる天皇の補佐機能を行うようになり、更に堀河天皇の崩御に伴う幼帝(鳥羽天皇)の再出現と、政治的に未熟な若い摂政(藤原忠実)の登場によって、結果的に権力が集中したと考えられています。

いわば様々な神がかり的な偶然が重なって権力を手中にしたのです。

城南宮 は、その白河法皇の離宮の一部だったそうで、この城南宮にお参りする機会が増えたから、つまり御利益により、彼は絶大な権力を持つようになったのでは❔と私は考えています。

よって、城南宮にお参りして、絶大な権力を手に入れるぞ、となるところですが、一つ気掛かりな事が…。

城南宮で流鏑馬馬揃えを行っている後鳥羽上皇 が、承久の乱 でぼろ負けしているのです…。

思えば、かの白河法皇も「比叡山の僧兵はどうにもならん」と愚痴っていたとの事。

全てを手中にするのは如何に城南宮の御神威といえども、難しいようです😓

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