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什麼生(そもさん)
正直、誰かの様に書いては消してなんか居やしない。
懐中電灯の様に何かを照らしている訳でもない。
かつての様に何かに対して大して気付くなんてものもあんまりない。
けれど、伝えたいものが無くなった訳でもない。
他の誰かが言っている事なのかもしれない。
でも、敢えて、自分の口で借り物の言葉だと分かっていても、渡したい思い。
分かち合いたい思いがあるのだ。
短く纏めろとか言うが、切り落とせば大切な何かを伝え忘れてしまいそうで。
何より、自分自身が何を伝えたいのかを忘れてしまいそうで。
怖いのだ。
自分自身を縛り付けているのは、きっと沈黙なのだ。
打てば響く様な拍手をきっとしたいのだ。
打てば響く様な拍手をきっとされたいのだ。
誰かが、俺はここにいるぞと叫ぶ声が聴きたいのだ。
自分が、俺はここにいるぞと叫ぶ声を誰かに、イヤ、君に届けたいのだ。
別に理路整然と語りたい訳じゃない。
理路整然と語ってしまえば、それは私自身の物語ではなくなり、私自身の言葉では無くなってしまうのが。
怖いのだ。
取り敢えず、小さいコップに目一杯色んな思いを注ぎ込んでみるが。
あらかた、零れて残った思いも澱んでいる。
その上澄みとも言えない様な、この胸に残っている思いを一人書き出してみるが。
叫ばずにはいられないが、
この事を叫びたい訳じゃないから今、押し黙っている。
そうこうしているうちに、何を叫びたいのかが分からなくなり。
ただ、天を仰ぎ、ただただ、少しの間、立ち尽くすのだ。
そうして、立って居られなくなり、ゆっくりと倒れるでなく、膝を屈し。
座す中で、狭き窓から、途方もなく広い世界から届く様々な叫びを聴くとはなしに、
聞いている。
借り物の糸で、
誰かの意図で、
織り上げていっても、
必ずしも同じ模様にはならない。
図面や指図書通りに織り上げない限り。
これが私の思いではないと誰に言えようか?
コロンブスの卵もたった一度で広まったんだろうか?
多分、それは違う気がする。
多分、何度もやって見せて、
ようやく色んな人を魅せたエピソードになったのではないかと思ったりするのだ。
私は禅をあまり知らない。
近くに禅を学ぶのに適した環境があったのにもかかわらず。
しかし、禅問答は好きだ。
己が知っているはずの知識を敢えて問うのだ。
己が知っている気になっているだけの思いが果たして
その問いに耐え得るものなのかを
その答えに耐え得るものなのかを
確かめる一つの良い方法だと思うからだ。
その中で一つ。
拍手の音は右の手で鳴っているのか?
若しくは、左の手で鳴っているのか?
この問いを皆さんに投げ掛けてみたいと思います。
誰かから聞いた答えがしっくりくる人は、その答えを。
そうでないと思うなら、理路整然ならずとも、自分自身の答えを。
敢えて問いたいのは?
クイズが何故、人の心をつかむのかに似ている気がします。
(私が思いつくヒントは出しました。)
あなたの答えをお待ちしています。
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