「自己肯定感」の話
【自己肯定感の低い人は多い】
ここまで生きてきて、遅ればせながら世の中には自己肯定感が低い人がこんなにもいるのか?ということに気がついた。
【最初は親が。そして自分が】
確かに、自己肯定感があるという安定した状況に自分を幼い頃から置いてくれたのは、私の両親ということになる。その基礎をくれたのだ。しかし、成人しての自己肯定感は、多くの自分より優れている人たちを、実力もそんなには無い若い頃に多く見れば、やはり削がれて行くだろうことは想像できる。そこで、別の生き方の芯みたいなものをどこで自分は手にしたのか?を考えてみた。
【生きてそこにあるだけでかけがえのない自分】
揺るぎない「それ」は、おそらく、東大(自分は東大生ではない)の本郷近くにあった小さな出版社でのアルバイトに至る途中に、既に故人になるが、遠山啓先生の「かけがえのないこの自分」という本に出会ったことだろう、と、私は信じている。その本には「星はなぜ夜空に輝いているのか?それは、そこにあるだけで価値があるのであって、なにか特別なことができるからではない」「人も同じで、なぜそこにあるのかを問うことはない。存在そのものがかえがえのないものだ」そう書いてあった。そこから、私の生き方は変わったと言っていい。私立の大学の工学部の学生だった自分は、そこの編集部でのアルバイトに応募して大学生のかなりの時期をそこで過ごした。遠山先生にも、実際にそこでお会いした。その出版社は今もあるが、すでに私がアルバイトをしていた時の社長も故人となり、その後を継いだ社長の娘も既に名前は見えない。私のいた頃のはるか後にそこでアルバイトをしていた方に社長は代わっているのをホームページで拝見した。
【誰に軽んじられようと】
例えば、不幸にして「親」が酷い人だった、ということもあるだろう。入った会社で虐待のような仕事をさせられることもあっただろう。自分の経験以上の経験を持って頭も良く実力がある同僚を横にしたこともあるだろう。それをあからさまに言われたことだってあるかもしれない。人は生きている以上、そういう場面には誰もが遭遇する。どんな場面にいても高い自己肯定感で、より高いものを見つめて生きる、という生き方を支えるのはなかなか難しいと思うかもしれないが。未来はわからない。何が相手でも自分で自分を肯定するしかない。ただ一つ。自分は誤魔化せない。誰に軽んじられようと。