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マスコミ報道は正しくあるよりビジネスである。

【労組も安定した企業あってのもの】
20年ほど前までの日本の企業は、高度経済成長の支えもあって「永遠に生きる」かのような幻想の中にいた。企業は大きければ安定していて、永遠の命があるように思われていた時代もあった。その高度経済成長期の幻想の上で現代の「労働組合」はできているように見える。

【大企業でも簡単になくなるかも知れない】
しかしながら、現在はどんな上場企業でも一瞬でその命運は尽きる。話題となっているフジテレビ(フジサンケイグループ)がそうであるかどうかは、私と全く関係がなくテレビの視聴も20年以上途絶えている私のあずかり知らないところだが、まぁ、ありえない話ではないのだろう。

【サンフランシスコ大地震の記憶から】
かつてサンフランシスコで大地震があったとき、その数日後にサンフランシスコを訪れた。日本で見たニュース映像だけだと街中が大破壊されているように見えたのだが、実際に行くとそういうわけではなく、街のほとんどは大丈夫。落ちたベイブリッジは通行止めだったが、ベイブリッジより古い、築100年を超えるゴールデンゲートブリッジは完全に無傷で、それは「大丈夫でした」とは報道されていない。要するにマスコミが流した映像は「視聴率が上がる、被害が大きかったところだけ」なんだな。

【マスコミもカネで動くビジネス】
つまり、マスコミ報道はもともと「カネを取らなければいけないビジネス」の1つであって、それ以上でも以下でもないのを、私はそこで、事実と報道の両方を目の当たりに比較する機会を持ったので、思い知った。「マスコミ報道は真実を正しく報道しなければいけない・している」は、はっきりとウソであることを確信した。

【マスコミ報道は正しくなくていい。儲かればいい】
であれば、カネを取るビジネスであるマスコミ報道が正しいと思うこと、正しくなければいけないこと、と思うこと自身が大きな間違いだ。それはカネで報道内容を変える「広告」と同じ、せいぜいのところ「売れるように都合良く現実の一部を切り取った視聴率を取るためのショー」だ。私はそう、強く思う。

【弱小零細マスコミにいたとき】
私は東京にある台湾新聞社にいた。そこで東日本大震災に遭遇した。アンパンに着いているケシ粒みたいに小さいながら、私も一時マスコミ人だったわけだが、その時に、サンフランシスコ大地震の時を思った。

【大手マスコミと逆を行け】
その時に咄嗟にサンフランシスコ大地震の時を思った。おそらく、大手マスコミはどれもこれも同じように、ひどい被害のところだけ報道する。そのほうがカネになるからだ。であれば、特徴を出さないと生き残れない弱小零細マスコミである在京の新聞社である我々は「こんな大地震でしたが東京は大丈夫でした」という記事を書いて、在京の友人や親族を多く持ち心配している、遠く離れた台湾の人たちに、安心してもらう記事を書こうと思い、その通りにした。当時、我々はそういう報道を期待されている立場の報道機関でもあった。

【弱小零細マスコミの生き残り戦略として】
我々もまた、小さいながらビジネスとしての報道をしているが、吹けば飛ぶような小さな報道機関である私たちは、大手とは違う存在感で生き残りたい、と強く思った、ということもある。

記事は多く読まれた。

【台湾の政府要人を迎えて】
後に前台湾の政府総統である蔡英文さんの先輩になる呂秀蓮さんが震災の被害の視察に日本にいらしたとき、彼女も「東京はガタガタになっていると思っていたが違った。大震災など全くないかのように動いているのに驚いた」と言っていた。このとき、我々の報道の意図は、内容としても、ビジネスとしても正しかった、ということを、さらに確信した。

【マスコミ報道の真実を知る】
私はマスコミの外にも中にもいた。その立場から言うと、マスコミ報道に幻想を持つのは「無知」の誹りを免れないと思う。そしてサラリーマンでしかない日本の多くのマスコミ人、そしてニュースの視聴者は、現在のところその「無知」の中に置かれている。だから、内部の人といえど、こうやって騙され「公正な報道」という幻想の中で生きる他はないのだ、と、その哀れを思う。


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