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英語で赤点をとった恥ずかしい話

【高校生のとき英語で赤点をとった理由】
高校生のとき、英語で赤点をとった。まごうかたなき落第である。その後の再試験でなんとか合格したが、当然、そこで猛勉強して英語の成績が超優秀になった、というわけではない。天才じゃないんだから。なぜそういうことになったかというと「アマチュア無線のやりすぎ」である。高校生のときは、自分で無線機の一部を作ったり改造したり、アマチュア無線にハマっていた。夕方、自宅に戻れば自宅の我が無線機の電源を入れ、夜遅くまで近所の電波の強い「ローカルさん」と、無線機で話ばかりしていた。今のスマホで学校の仲間とLINEなどをするようなものだった。要するに、そればかりしていて、家に帰ってからの「予習」「復習」が全くできていなかった。英語は「慣れ」「継続」が重要な教科なので、毎日でも勉強をすることが必要である。成績は学習時間に比例する、と言われている。それを怠ったのだから、英語の成績は当然「赤点」まで落ちたのだ。全く弁解の余地はない。

【外国の大学の教授になったが、英語で教えていた】
気がつけば、2年間だけだが、外国(韓国)で大学教授をすることになった。そこでの授業は「英語」でやった。授業を見ていたある人にはこう言われた。「もっと遅くしゃべってください。学生が困る」。

【この間になにがあったか】
高校生で英語で赤点をとったときから、大学教授で英語で教えるようになるまで、ITという言葉ができる前からITの業界でさんざん仕事をした。最初の頃はもちろんインターネットは影も形もない。日本でもこの分野の書籍はあまりなく、仕方なく、オペレーティング・システムとか、ネットワークとか、人工知能とか、並列コンピューティングとかの「当時の最先端の知識」は、コンピュータの先進国である米国に行って、大学の生協の書店や大学の前の書店で、英語の本を開き、その本がどうしてもほしければ買って、日本に戻って自分で読み込むしかなかった。米国に行けば、当然、英語での生活、英語での仕事の打ち合わせである。すごい英語のエキスパートというわけではないが、勉強や仕事に不自由ないだけの英語は仕事をしているうちに身についた。いつのまにか、英語の論文もいくつも読んでいる。英会話スクールに行ったわけではないし、英語を猛勉強した、という記憶もない。

【その環境に飛び込め】
簡単に言えば「英語が必要な環境」に自分を置いたから、日々聞くことや見ること全てが「英語の勉強」になっていた。英語の勉強に一番良いのは、英語を母国語にする伴侶を持つことだ、と言う。また、英語が母国語の国に住むことだ、という。要するに「自分がいる環境を英語ばかりにして、英語でなければ暮らせないようにする」と、英語を使う時間は増えるので、英語は当然うまくなっていく。当たり前のことだ。しかし多くの今の日本人は、様々な理由で、その「投資」ができない。「英語が使える→豊かになる」のではなく、関係が逆なのだ。本当は「豊かになる→英語を使う機会が増える(英語が使えるようになる)」のだ。自然に任せればそうなるに決まっている。

【専門分野の英語は学習しやすい】
実は専門分野の英語というのは、日本語と比べて学習しやすい。例えば英語の「Power」という単語は、日本の各分野では「電気:電力」、「政治:権力」、「物理学:物理的力」、「文学:迫力」のように、その示すところの本質的意味は同じだが、単語が違う。英語で専門分野を勉強するときは、日本語のように専門分野ごとの専門用語を覚える数が減る。だから、これから、いろいろな専門分野の勉強をするのであれば、英語の勉強はしておくと、学習が楽になるのだ。コンピュータの仕事はほとんどあらゆる産業分野の仕事をする。だから、このことは、仕事でいろいろな産業分野のことを理解するのに助けになった。

【20年以上前の日本と今の日本】
20年以上前の日本は「Japan as N.o.1(日本が一番!)」などという書籍も出たくらいで「世界の工場」と呼ばれていた。今「世界の工場」と言えば、大陸中国のことだ。当然、当時の日本は外国との交流も多く、日本国内にいても、外国からくる人も多く、英語でのコミュニケーションは当たり前にあり、より高いところを目指すと、必然的に外国に行くことになり、英語は必須となった時代だった。

しかし、今の日本は経済的に落ちてきたのは、誰の目にも明らかだ。外国から来る人も少なくなったし、外国に行く人も減った。日本国内では英語に接する機会も減った。技術などの高みを目指して英語を勉強するのは、日本人自身が「積極的に」行う必要がある時代に変わった。

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