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コロナで起きたこと・起きていること。
【WHOのコロナ収束宣言】
そろそろコロナについてはGWの「結果」が出る頃だ。
日本時間の5月6日にWHOがコロナの緊急事態収束を宣言したが、その声明の中には「まだ十分気をつけるように」という但し書きもあった。
【日本の厚生労働省】
日本政府・厚生労働省はなんのかんの言われても、非常に慎重で、まだ、場所を選んでワクチンもマスクも、と言う。おそらく多くの国と比較しても、日本の厚生労働省ほど、人の命を大切に考える地域の政府はあまりないのじゃないかと思う。いろいろな国に行って見ると、それを実感する。
【世界的ではあっても世界一律ではない】
今回のパンデミックは確かに世界的ではあったし、実際そうなのだが「世界一律」ではない。地域によって、流行の仕方が違うので、地域によって対応も違って当たり前だ。つまり「他の国ではこうなので、日本でも」という話は「ない」。
【人の身体には個性がある】
同じ人間の遺伝子であっても、バリエーションがある。顔が違い肌の色が違い、環境・風土も生き方も違えば、様々な違いが出てきて当然なのだが、そういうことが無視され「人間ならばみんな同じ」というのをボーッと思っているだけの人が多いのだが、実際は違うことはかなり多い。
【ウィルスの「効き方」にも個性が出る】
ウィルスの「人体に対する効き方」も、地域等のファクターによって違う。当然だが、コロナのワクチンについても同じことが言える。これは、一般の薬剤でも同じだ。処方された薬が自分の身体と合わない、なんてのはしょっちゅうある。
コロナについても、自分はまだワクチンのない頃に重症化してICUまで行くことになって、なんとか元の世界に戻ってきたが、私のように重症化する人もいれば、そうでない人もいる。「身体には個性がある」からだ。
【コロナをデマと言う人たち】
「コロナはデマ」ではないのは、私は身を持って言える。しかし、そうなったことがない人は「コロナはデマ」を未だに言う。なったことがない人であればそう思っても不思議はない。
【あらためて、だけど「ワクチン」とは?】
こういったデマはワクチンにも言えるのだが、ワクチンは通常の薬とは違う。簡単に言えば、多くの人間の持つはずの「免疫」という生物の身体の持つ現象を使って、一度軽く罹患し免疫を人為的に作る、というものだ。コロナで表の世界で大々的に出てきた「mRNAワクチン」はこの「一度軽く罹患する」過程をすっ飛ばして免疫だけ得る、ということを考えたものだ。
【免疫だって個性がある】
しかし生まれながらに免疫が作れない人もいるし、高齢化で免疫の獲得ができなくなる人もいる。身体にも個性がある。加えて、コロナでは「獲得された免疫が効かない場合がある」ことが論文になっている。原因は分からない。実際の感染・罹患で得られた免疫と、mRNAワクチンで得られた免疫が違う結果を起こす場合も報告されている。これも詳細は分かっていない。
「人間の体には(同じことも結構多くあるけど)個性がある」
ということがあり、さらにその多種多様さ(個性)は、これまでの人の叡智を超えているのかどうかさえ、分かっていない。
【良いかどうかは知らない。でもみんな違う】
養老孟司先生の最近の話を聞くと「人間は頭の中にできた世界で生きていて、リアルな世界の中で生きていると思うのは幻想」というのは、本当のことだよな、と思う。みんな違うなら「コロナ」と一言で区切ること自身に意味があるのか?ってことでもあるからね。でも「違う」。みんな顔が違うのと同じだよね。
養老先生の言葉で言うと「みんな同じじゃないんだ」ってことだね。脳内で物事を考えるから「みんな同じ」に見えているだけ。それが文明を作ったんだけどね、ってことだな。
【人間の脳は容量が決まっていて増えない】
なぜ、人間の脳が「脳内幻想」で多種多様で一つ一つ違う多数の現実を「AとB」のように単純に分類してしまうのかと言うと、人間の記憶に使われる脳細胞が「有限でなかなか増えないから」なんだな。脳の記憶領域はコンピュータで言えば、ハードディスクみたいなもので、キカイのハードディスクは年々同じ価格で容量が増えるけれども、人間の脳の記憶装置は素早く簡単には増えない。「記憶領域増設!」と言って頭にUSBメモリは刺せない。この現在ある脳中になんとか記憶を「押し込む」必要がある。しかも、人間を取り巻く環境(自然)は年々複雑化して多様になっていくので、これを全部脳内に入れることができない。溢れちゃう。だから、物事を「モデル化」して「分類」することによって、ある物事に対する記憶容量を減らし(圧縮し)、記憶容量を仮想的に増やす必要がどうしてもある。簡単に言うと、人間はたくさん覚えられないから物事を単純化して単純化したものを記憶する。そうして、限られた脳内記憶装置の容量を超えないようにするんだね。
例えば、「Aさん」はAさんという人だけど、近くにいたら、関わりが多くなるから、仕事だけではなく一緒にランチをしたり、家庭の事情を聞いたり、相談したり、相談を受けたり、と、複雑な関係を築くことができるけど、たまにしか会わない人であれば「グラフィックデザイナーのAさん」と、分類しておくんだね。
【人の認識は距離で変わる】
人の距離というのは要するに「その人を取り巻く環境の属性の一つ」なので、近くにいればいるほど情報量が多くなるけど、遠くになると情報量が減るので、記憶域の「/etc(その他を入れるフォルダ)」とかに入れておくんだな。そのさい、大きな容量を必要としないように、モデル化したり、省略したりして記憶容量を減らして、脳内記憶域を節約する。そういうことなんだな。
【自覚しよう。「人間の脳とはその程度のもの」】
要するに、自分も含め、人間の脳ってのはそういうものだから、ってことを「自覚」しておくことが必要なんだね。忘れてもいいけど、忘れた自覚がないと、トラブルの元になることがあるんだよ。