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「昭和」の音楽はきっと「シャンソン」なんだと思う。

【音楽が好き】
音楽が好きで、今でも様々な音楽を聞く。流行りの軽音楽も、クラシックも、洋楽だけではなく、時々、和楽器を使う、日本の民族音楽とも言える邦楽も聞いたりする。子供の頃、休日の朝に起きると、父親がFM放送を聞いていて、しかもそれがNHK-FMのことが多く、そこでは朝は、クラシックの後に邦楽をやったりと、とにかくジャンルが目まぐるしく変わるプログラムで、それを朝のアタマが柔軟なときに散々聞いたからかもしれない、と今は思う。もちろん、日本の歌謡曲も聞くし、ポップスもロックも聞く。どれも面白いなぁと思って聞いていて「心地よいから聞く」というより、面白がっている、というのが自分の場合は正しいだろう、と思っている。

【日本の大衆歌謡の源流】
日本の大衆歌謡の源流を勉強することがあったのだが、日本のいわゆる「四七(ヨナ)抜き」の歌謡曲は、明治の日本の音楽教育をどうするか?というときに、「4度と7度を抜く」音階を採用したことで、大衆に広まった、という話を聞いたことがある。(Wikipediaの記述)

しかし、戦後は「日本」よりもむしろ占領した米合衆国の音楽も多く好まれるようになったため、西欧の音楽への関心が大衆にも広まり「憧れのパリ」みたいになって、米国よりもむしろ音楽では欧州を向くことが多かったんだな。恐らく、米国の歴史の浅さよりも、欧州のほうが好まれた、ということはあったのかもしれない。欧州の中心と言えば当時はフランスのパリ。米国の源流も欧州にある、ということもあるだろう。英語のことわざで「良き米国人は死ぬとパリに行く(Good Americans, when they die, go to Paris)」など、「パリ」を使った英語の格言は結構ある。当時はパリは「世界の文化の中心」だった、ということだね。それは日本の歌謡曲にも入ってきた。

【日本の歌謡曲の多くはシャンソンが源流】
先日亡くなったなかにし礼さん(立教大学文学部仏文科卒業)が、個人的には筆頭だと思うのだが、古くからの「ヨナ抜き音階」ではない、西欧風の音階で構成される大衆歌謡が日本の戦後には増えたが、その源流はやはり当時の文化の中心・パリを中心とした「シャンソン」にあったのではないかと思う。シャンソンの日本語訳の歌詞を読むと、その後の日本の歌謡曲の方向が見えるし、なによりも、その歌詞の内容が日本人にも合っていたのではないかと思う。

【いま、「昭和を聞く」なら「シャンソン」かもしれない】
軽音楽の世界では先日「80年代シティポップ」というのがちょっとだけ再流行したが、その時代は私の若かった時代とも重なるので、その雰囲気がよく表現されているな、とは思う。しかし、軽音楽では、その更に源流はどうやらシャンソンのようだ。いま、昭和を聞くのであればシャンソンを聞いてみよう。フォークの加藤和彦も歌った、かなりシビアな反戦歌から、甘い恋の歌まで、昭和の雰囲気が満載だ。

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