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日本の平均的サラリーマンじゃなかったよ。

今回は自分語りです。長いので、めんどくさいと思う人は以下は読まなくてもOKです。

【自分は「努力の人」ではない】

自分は良く「努力の人」というような勘違いをされることが多い。結果として努力はしていないわけではないが、努力しようと思ってしているわけでもない。好きなことをしたということでもない。

【「ピンとくるもの」をやってきた】
目の前にある「ピンときたこと」に集中しているうちに、あれこれとできるようになっていて、あれこれの人脈ができて、あれこれとやるようになった、というのが正直なところで、なんとか努力して、なにかのために頑張る、という感じじゃないんだな。他人に言われてやった、という感じは今でも無い。強いて言えば、なにがなんだかわからないけど、気になるものを相手にしているうちに、そうなっちゃったよ、って言う感じだよ。だから、やりたくない事をやってストレスを溜める、ということに出会ったら、それからはサッと引いて、さっさと気になることをやってきた。

【切り替えは早い】
切り替えがむちゃくちゃ早いのは自覚している。飽きっぽい、っていうことに見えることもあるが、後で考えれば、どれも一貫してるんだな。だからストレスがたまらない。

【自分のようになれる人はいなかった】
良く「自分も三田さんの分野で頑張っていれば...」っていう人がいて、それも何人もいたんだが、まったく感覚が違う。自分で選んだ道であるのは、後で考えればそうだった、ってことでね。自分としては、他の人は見向きもしないが、なんか引っかかる気になることに、若い頃から集中しただけなんだな。だいたいITなんて分野が出来たのは、ここ20年そこそこで、その当時は、この分野を好んで選んだ人はまずいない。いや、大学の情報処理学科なんて、大学では外様扱いで、主に扱っていたのは大型コンピューターのCOBOLとかFORTRANくらいだった。

【工学部の学生は文章を書く勉強をした。シンセサイザーを作った。】
大学を卒業する前にアルバイトをしたのは教育系出版社でね。文章を書く訓練をかなりしごかれてやったんだな。面白かったけど、将来なんの役に立つか全く分からなかった。なにせ大学は私立の大学の工学部だったからね。バイトをしつつ、当時流行っていたアナログのミュージックシンセサイザーを作って、自分で演奏して多重録音をして、自室の壁一面をシンセサイザーで埋め尽くして遊んでいた。

【苦し紛れの「でまかせ」が現実になった未来】
卒業&就職の年になった時にそのバイトの延長で編集者になるかどうかを迫られたとき、勢いで「これからは芸術にもコンピューターが入るのが当たり前の時代になると思うから、そちらに行きたいです」と出版社の社長に、口から「でまかせ」でバイトを辞めたのだが、就職したのは、やはり技術者としての安定を考えて、オーディオメーカーだった。学校の就職課に頼らず、自分で見つけてきた。まさかその「でまかせ」が後で現実になるとは思わなかった。当時は自分だけではなく、全ての人がそう思っていた。

【オーディオ大不況の時代だったからITを始めた】
ところが、就職はしたもののオーディオの大不況の年に当たって、仕事が少ない。就職して最初の1年でいちばん機器設計をしたのは、新入社員の自分だった。だんだん面白くなくなってきて、オーディオメーカーを退職し、ハードウエア設計開発もソフトウエアもなんでもやらなければならない、システムハウス(当時のIT中小企業)に転職した。そこでマイクロコンピューターやパソコンのハードウエアからソフトウエアまで、仲間と仕事で開発した。
夢中になって、ダムで使うシステムのハードウエアやソフトウエア開発などの仕事をしたりした。が、そこで、大学が同じという若きアスキーの編集者に出会って「コンピューター言語の本を書かないか?」と誘われた。

【文章・電子工学・ハードウエア・ソフトウエア】
考えてみれば、大学生の時のアルバイトで文章を書く訓練をしてきたし、工学部でアナログ電気回路設計、仕事でもデジタル回路設計、ソフトウエア開発、と実践してきたが、その当時「文武両道」ならぬ「文工両道+ソフトウエア」を、全部実践していた人は周りにいなかった。

【人は2つのことしかしない】
「新しいコンピューター言語の本」は、だから自分しか書けないものを作ろうと思ったよ。この本を書くのはすごくエキサイティングな仕事で、普段の仕事の合間に夢中になって書いた。その本が、結果として100万部のベストセラーになったのだが、それを書く前、いかにも文系的な言い方だったが、以下のようなことを編集者に宣言した。

「人がやることは2つしかない。1つはやらなければならないこと。もう1つは面白いからやってみたくなってやること。ぼくは後者の方の本を目指して書きたい」

【遠山先生の受け売りの哲学だったがアレンジして実践してみた】
これは、実は大学生の時にアルバイトで行っていた出版社の指導的な立場だった、故・遠山啓先生(当時は東工大名誉教授)の受け売りだ。遠山先生は「教育には2種類あって、1つは自動車学校型で必然があって学習するものだ。もう1つは劇場型で、これは人生を豊かにする教養を得るものだ」と言っていた。今から思えば数学者でバルザックの研究者でもあった遠山先生らしい言葉だったと思うが、要するにその受け売りで行こうと考えて実行したのが、自分の書いた本だった。そして今回は「自動車学校型」をしつつ「劇場型」でもあるものを目指そう、っていう、欲張りをしようと考えたんだな。それは必要があって学習するための本だが「楽しい本」にしよう、ってことだな。

【夢中でワクワク】
若い自分には、まさにチャレンジングでワクワクするものだったのは、今だからこそ白状するが、決して「努力」ってわけではなく、それが山を登るように、苦しいけど楽しい、みたいな感じでね。夢中でやった。

以来、仕事というよりは、ワクワクなことばかりしてきた。インターネットと出会って、会社を作って、と、そこからはワクワクだけで生きてきた感じだ。今もその夢の中に生きている。だって、そのワクワクが、世界を変えたんだもの。これって夢だよね?と思うことがある。

「人生とは夢幻(ゆめまぼろし)の如く也」。まだぼくは、夢の中にいるらしい。世間で言うところの「仕事」はしていないんじゃないか、と、ふと思うことがある。

【なにそれ美味しいの?】
世の多くのサラリーマンとは、やはり違うな、と、思うことが多い。だから並の意味での「ストレス」は自分には無い。「信念」「勇気」「正義」「努力」。なにそれ?美味しいの?というのが、自分の実感だ。

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