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現実なのだろうか?
【キエフのライブ映像】
先日、いま日本でも大きな問題となっている「ウクライナ問題」について、当事者であるウクライナの首都キエフの大聖堂を映したリアルタイムのインターネット動画を1日横で流しながら、仕事をしていた。
ニュースでは連日、キエフに迫るロシア軍の話が報道され、戦車の行進、破壊された建物、銃撃戦、銃を取るキエフの市民、国境を越える市民の家族、など、痛ましい映像も流れている。
【キエフの大聖堂のライブ動画】
キエフの大聖堂のライブ映像では、日本時間の朝の10時くらいからキエフの夜明けの時間になるのがわかる。うっすらと明けていく空の映像は、市内からロシア軍が迫っているという川沿いの地区を写すから、ロシア軍がキエフに渡ると、この映像でも何らかの動きが見えるはずだ。そう思って、ライブ映像を見ていた。
【キエフの他の地域のライブ動画映像】
他のキエフ市内のライブ映像は、市内の中央部だったり、巨大ショッピングモールだったり、市内のホテルの映像だったりしたが、そちらは2月27日早朝から接続が切れて見えなくなった。米国のFOX-businessが流す大聖堂のライブ映像はそのときもまだ生きていた。インターネット網はキエフ市内で生きているらしいが、FOXはあのテスラ創業者であるイーロン・マスク氏の衛星インターネット接続の会社、SpaceXのStarlinkの接続を使っているのかも知れない。
【静かなキエフ市内】
27日の映像を1日見ていたら、明けて明るくなる空に鳥が飛ぶ。静かだ。なにも戦闘のような音もしないし、火の手が上がる様子もない。ただ、26日までは時折聞こえた大聖堂の鐘の音が27日には消えた。その映像では変化はそれくらいだった。
【ニュース映像に感じる「既視感」の正体】
この感じはどこかであったことを思い出した。既視感があった。
思い出した。米国サンフランシスコで起きた大地震(1989年)の時だ。ニュース映像では、被害のあった市内の映像がこれでもかと流れていた。多段の高速道路がサンドイッチになって多くのクルマが挟まれた880号線。途中が落ちて通れなくなったサンフランシスコ・ベイブリッジ。なぜか建設後100年以上のゴールデンゲート・ブリッジは無事だったらしく、映像はあまりない。止まらない火事で大きな被害を出した、真っ白い木造のビクトリア朝風の建物が並ぶ印象的なマリーナ地区。どれも悲惨な映像だったが、これらの映像を矢継ぎ早に東京にいるぼくらは見て「サンフランシスコはどこかしこも全滅した」という印象だった。
【実際にサンフランシスコに行けば】
しかし、その4日後に仕事でサンフランシスコにいく予定はそのままにして、実際にサンフランシスコに行った。「え?ほとんどどこも大丈夫じゃないか」と思ったのを覚えている。マスコミが流すニュース映像は激しく被害を受けた「売れる映像」だけ流していたのだ。
【報道機関も「商売」】
報道機関やそこに勤める人だって霞を食って生きているわけではない。ビジネスである。綺麗事ではなく、稼がなければならない。であれば「売れない、何事もない映像」より「売れる、多くの人が刮目するであろう映像」を流すのは当たり前だ。報道機関は中立で清廉潔白で、常に正しく事実・真実を伝えなければならない、という「幻想」はそのとき、私のなかで消えた。
おそらく「事実・真実を伝えるべき報道」とは、お金が余っていた豊かな時代にできた「幻想」でしかない、と、私は思った。お金(富)が減っていく社会においては、報道機関も「お金」が、事実や真実に優先するのだろう。
【キエフの映像の見方】
であれば、ロシア軍を目の前にしたキエフの映像も、ニュースではお金になる映像だけが流れていると思えばいい。キエフの大聖堂周辺の静かなライブ映像は、それを思い起こさせた。ニュースの映像は嘘ではないが、市内のほとんどは静かなのだろう。
【戦争はなんのためにあるのか?】
考えてみれば、戦争でも、それはその地域の支配のために行われるものだ。その地域を破壊するのは「支配」をするという「目的」のための「手段」であり、それは最小限にとどめないと、地域の支配が確立した後に、復興事業にお金がかかりすぎては支配の意味も薄れる。「敵は憎いから敵のものはなんでもこわしてしまえ」という感情的なものでの破壊は、子供じみた幻想だろう。
【もし日本が外部の誰かに支配されたら】
例えば、いま日本を誰かが支配したとしたら、あの福島の原発の復興だけを考えても、今後なん百年かかる原発の膨大な廃炉コストを支配者が負担しなければならない。さもないと、福島に近い東京は富を生むことができなくなる。その上に、日本という支配地域を大きく破壊したりしたら、その復興の費用が上乗せされる。それは新たな支配者には良いことがないのは言うまでもない。
【ニュースはビジネス。実情を報道しない】
私たちが普段目にしているニュース映像は、本当に遠く離れた地域の実情を報道しているのだろうか?おそらく、私たちが見ているそういう映像は「売れるところだけ」なのだろう。
【台湾新聞のときの思い出】
私は基本、IT屋なのだが、台湾新聞、という東京で発行されている小さな新聞社にいたことがあった。そこで日本語版の副編集長というのをやったのだが、ちょうどそのとき、あの「東日本大震災」があった。東京も一時だが鉄道などが止まるなど、機能停止した。が、東京は耐震構造の建物も多く、見かけは崩れそうな築数十年の木造家屋でさえほとんど被害がなく、数日でもとの生活が戻った。そこでサンフランシスコの地震の時の経験を思い出した。多くの報道機関は東日本大震災のときも「こんなに大変でした」という「売れる」報道に奔走していた。「売れる」映像。「売れる」物語。ほとんどそれだけだ。
【「できるだけ真実」の「逆張り報道」をしてみた】
そこで、台湾新聞としては「逆張り」をすることにした。これは独断で多くのことを決められた立場でもあったからしたことだが、台湾新聞では「東京は大丈夫です」という記事を書いて載せた。台湾新聞の読者は台湾にもいるから東京にいる友人を心配してくれる方も多いし、親族が東京にいる場合もあるだろう。「需要はある」と見込んだ。大きな動きではなかったものの、それなりの当たり前の仕事ができた、と思った。
【報道はビジネス。真実を伝えないかもしれない】
私たちが普段見ている「報道」。それは真実を伝えているのか?私は未だに、いま目の前にしているウクライナの映像に疑いを持ちつつ見ている。