オフィスは必要
必要だろう。
非日常を求めて旅をするように、非日常を求めて業務に勤しむために、その場所へ行く事は必要なことだろう。
生活する中で日常とは何かを考えた時、
それはぐっすり寝て起きる穏やかな時間だったり、
大切な人や気心の知れた人とすごす寛ぐ時間だったり、
料理をして美味しく食事をする満たされる時間だったり、
そんな時間の積み重ね、常に行われる必然を表すものだと思う。
仕事は生計を立てるために従事する勤め、いわゆる職業とは時間・労力・知識・経験をつぎ込み、その対価として金銭と幾ばくかの達成感を得られるイベントである。
発生頻度が毎日なので、これを日常と勘違いしてしまう程に自然と生活に溶け込みそうになるが、これは非日常なのだ。だって満員電車に揺られ、ストレスを抱え、理不尽な叱責を受け、それでも生計を立てるため従事し続ける過酷なイベントなのだから。
特にサラリーマンとして企業に雇用されているとそう感じるのである。
イベントへ参加した満足感と達成感は、同じ空気を感じられる仲間と同じ場所で五感を使って触れ合うことでしか、得られないのではないかと思う。
だから、オフィスと言うイベントスペースは必要不可欠なのだと思う。
ただ、最近状況が変わってきた。
オフィスに行かなくても業務に従事できる環境や周りの理解が出来てきたのだ。これは旅行してなくても旅行した気分になれる映画や動画を見ている様な状況だ。
そんな状況で本来のパフォーマンスが発揮できるだろうか?
日常に身を置きながら、非日常を満喫する事などできるはずもない。
映画を観て旅行気分を味わっても、心も体も満足はしれくれない。余計にその場所へ行きたくなる!体験したくなるものだ!!
仕事もリモートワークなんて言葉で気持ちだけが満足(やった気になる)できても、心も体も日常のままでは思う様な成果が出せないのである。
そんなわけで、状況が変わりリモートワークが取り入れられても、オフィスはなくてはならない場所だと思う。勤務するため、仕事と言う非日常に向き合うために。
ただし、この考えには続きがある。
企業で勤めることとは主に時間を提供している事である。
それに対して、時間を別の価値に置き換えることができた人、企業の時間に縛られず、周りに貢献できる価値を生み出せる人は非日常から日常に移行できた人ではないかと言うこと。
非日常の仕事から、日常の生活の中に役割として働くことの必然を取り入れ、日常の生活の中で対価を得られる仕組みと貢献でもって生きる事。それはもう仕事ではなく、なんと言うのだろう。やはり役割がしっくりくるかな。そんな風に役割として働きたいと思う。
そうなった場合、非日常であるオフィスは不要だと言える。