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第13話 僕が起業するまでの話(8) ベンチャー企業への転職

30歳前後のときに日本銀行、日本興業銀行、住友銀行といった日本の主要銀行の幹部候補生が集う合宿に派遣されたり、約1か月におよぶ新人研修の講師に派遣されたりと、人事部にも目をかけていただき、サラリーマンとしては十分過ぎる、順調な路線を歩んでいたと思う。

ただ、銀行員としては、ど真ん中の路線に乗った一方で、逆にうまく行けばこの辺まで行けて、悪くてもこの辺りと、40歳代、50歳代の自分のキャリアの幅が見えてしまい、「人生一度きり」、これでいいのかと思い始めていた。中枢に行ったから見えた景色だった。

それまではどちらかと言えば、銀行員らしからぬ動きをしてきたのが楽しく、ワクワクして、かつ成果も出せて来れた。一方で、銀行全体の予算配分をするセクションは花形の部署であるものの、逆に僕でなくても出来る仕事である。なので、そこでもまた違った取り組みをしようとアクションを起こそうとするが、先輩から「お前は路線に乗ったんだから危ないことするな。」と言われ、渋々おとなしくしていた時期でもあった。

そんななか、自分が購入したマンションの企画会社の社長から、「この会社を大きくしたい。河越さんのような方と一緒にやれたら」と言われていたことを思い出す。

その会社は「コーポラティブハウス」と言って、自分たちで組合を作って、共同で土地を買い、共同でマンションを建てて、中間マージンを省き、通常より安く、かつ自由設計でマンションを作る企画会社だった。欧米の一部では建物の建て方として一定量行われていた仕組みであったが、日本ではまだ普及していなかった建て方である。

そのマンションとの出会いは一枚のチラシからだ。「母の家のそばにマンションが建つみたい。それもずいぶん相場より安いわよ」と妻が見つけたのがきっかけだ。妻も銀行の総合職だったので、子供の面倒を母に頼めると言うことで、母の家のそばで新居を探していた。最初はうさん臭さを感じたが、ロジックは納得できたので、とりあえず説明会に行くことにした。

説明会でのお話にはとても共感を得た。マンションと言えばご近所付き合いが発生しにくいものだが、コーポラティブハウスは、完成するまで何度も会合を開くので、一緒に住む方が顔見知りになり安心して住める、というのだ。

値段も安い。個人邸では広すぎて、大手デベロッパーが手を出すほど広くない、中途半端な土地を安く仕入れる。そして、20世帯以下の規模にしてモデルルームを作らずに、若干のチラシで人を集め、広告宣伝費を大幅に圧縮して通常の相場より10~15%安くするのだ。

設計も、間取りからドアノブ1つまで自由設計で、いくつかのパターンの中から選んでいく自由設計をうたう戸建て住宅より、よっぽど自由度が高い。

説明会への参加者人数は世帯数以上集まっており、それも数回に分けて実施される。あっという間に申込みが終了してしまいそうだったので、翌日には施工された建物を外から見に行って早々に申し込みをした。

実際に完成して住んでみて、とても満足した。4人で川の字で寝れる10帖の和室があり、真ん中に納戸があって、全部屋をぐるりと回れる80平米のマンションはそうはないと思う。10帖の和室も、将来2つの子供部屋に分けることを想定した電気設備等にしておいた。

マンションの出入りでも、顔見知りだから挨拶もしやすい。よそよそしく挨拶しているより、笑顔で親しみをもって挨拶をしている親をみて子供が育つことも、大事なことではないかと思う。

ある朝、川の字で家族がまだ寝ているなか、ふと思った。


天井をみながら、満足している自分と、これだけ出世しているのに満足していない自分がいる。決断に至る。


「この素晴らしいコーポラティブハウスという仕組みを、世の中に広げることに、次の人生をかけてみよう」と。

妻には以前から銀行でのことや、社長から誘われていることは話していた。妻が目覚めるのを待って「やっぱり転職しようと思う。社長に話をしてみる」と伝えた。妻も「え、ほんとに?」と言ったものの引き留めはしなかった。

子供も2人いたので、大銀行から社員10名のベンチャー企業に転職することを好ましく思う母親はいるわけがない。きっと「私が稼ぐしかない」と思って了解してくれたんだと思う。感謝しかない。

社長は喜んで下さり、銀行では年収1000万円を越えていたが、その同額で、しかも外部からは初めての役員として迎え入れて下さることになった。

銀行にはびっくりされた。人事部の担当者は「河越さんは人事部ではジャパニーズドリームと言われている。何が不満で退職するのか」と聞かれた。

退職の考えが揺らいだタイミングもあった。虎ノ門支店のときに支店長としてお仕えした方からの引き留めだ。当時は常務で最終的には副頭取になられるのだが、その方が一席設けて下さり「お前はいいが、家族のことを女々しく考えてみろ」と説得され、そのときはだいぶ心が動いたが、翌日には考えはもとに戻っていた。

人生一度切り。大銀行は僕がいてもいなくても大きな変化はない。一方で、10人のベンチャー企業は僕の頑張り次第で未来が変わる。1年後、3年後、10年後、全くわからない。その方が面白いではないか。ワクワクする。

妻には心配をかけることにはなるが、僕は絶対成功する。そう信じて、32歳のときに転職する。当時はそう思った。

次回は、10人のベンチャー企業が、2年半で約100人の会社になり、上場申請する会社までになっていく話をさせていただければと思う。

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