主体⇆客体が問題?
以前にふと、次のような思考が起こってきたのですが、
「主体」と「客体」の関係性が問題なのではないか?
そもそも、「主体」も「客体」も存在しないのではないか?
つまり、、 「主体」は無い
「主体」が無いということは、「客体」も無いということだろう。
「主体」、「客体」」が無いところで、ただ起こっているだけである。
誰かに起こっているのではなく、ただ、思考、感情、身体感覚、出来事が起こっている。
「主体」があって、「客体」がある構図、認識構造で物事を認識、知覚、認知してきたであろう認識の仕組みで生きてきた我々には、今までにはなく、画期的な構図である。
何十年も、「主体」⇆「客体」の認識構造の世界で生きてきた我々は、これらを頭で分かったとしても、本当は理解できないし、形状記憶合金のように戻ってしまう。
そして、「主体」の視点があるかぎり、理解できるものではない。
更に、理解できる誰かがいない。
「主体」がないのを知っている誰かはいない。
じゃあ、どうすれば、??
どうこうできる誰かはいない、ということだろう。
「じゃあ、どうすれば?」という思考が、ただ、起こっているだけである。
「主体」も「客体」も無いところで、、。
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