50年後、人間はどう認識されるのか?
「技術革新が進んだ先に人はどのような方法で認識されるんだろう」と最近考える。バーチャル化した世界での僕たちの存在手段とも取れる。そう言われてあなたは顔?指紋?遺伝子?など思い浮かぶかもしれない。
突拍子もないが僕は「自伝」だと考える。
今回は最近訪れた佐藤可士和展で感じたこと通じて、未来の僕たちを面白半分で予測してみたいと思う。
まず、人の認識のされ方を振り返ってみる。ネットが発達するまでは顔や姿などリアルな視覚的情報に頼って他者、そして自分を認識してきた。見えるものがすべてであり、信頼性は高かったと言える。
次に時は経ち、ネットが流通した現在を考える。リアルとバーチャルが混ざり合う世界である。といっても認識の方法はあまり変化はない。認識する媒介がリアルから画面上になるだけで、依然として僕たちは人を判断する時には顔や姿で判断している。
しかしながら、見た目の姿を統一して話す内容で個人を表現するものが現れたのも事実である。わかりやすい例はVtuberだろう。
多少無理やりであるが、今回はプライバシーの重要度からリアルの顔や姿を利用しないという前提のもとで話を進めていこうと思う。
出典:「三木谷浩史x佐藤可士和 | Tech & Design, Unlimited Future」
となってくると顔ではない、視覚的な個人を表現する特徴が必要になる。僕は一つの候補として「自伝」を挙げる。写真を見てほしい。これは先日、佐藤可士和展であったものだ。楽天上で検索された単語が人型を作るというものである。もし、これが自身が検索した言葉で形成された言葉であったらどうだろうと考えた。
SNSに投稿する内容は信用できない(他者に向けてなため)が、検索単語であると個人を形容できるのではないだろうか。そして、面白いのが3次元で表現されているということである。これは写真のように過去から今にかけて一瞬で理解できることをあわらしている。
どういうことかというと、僕たちは人を理解する上で会話というものがある。しかしながら、会話はその瞬間しか捉えることしかできない。あなたは過去から構成されてはいるが、僕は過去を直接に覗き見ることはできない。今しかみることができない。これは、ある種、直線的な方向性での一瞬の観測だ。スリッドでゆっくりと移動していくような、いわゆる映画的な見方である。
しかしながら、3次元であると映画ではなく絵画、壁画のように過去と今を一つの絵として掌握することができる。
問題点は、検索した単語で絵を作り出すという過程をどこか第3者に依存すると言うことである。それには恣意的な考え方も及ぶであろうというのが僕の見解である
ざーっと書いたので時間がある時に適宜修正していきたいと思う。