「自分の”好き”を大切にする方法」を考えてみた
「うるさいね、お黙り」案件だったものを、「なんでそんなこと言うの…かなしい…」と受け取って、いらぬダメージを受けてしまった経験が、それはまぁ大量にある。
…ということを、ふと思い出したので、「自分の”好き”を大切にすること」について、時系列で振り返りながらまとめてみようと思います。
自分へのエールを兼ねて。
小中学生:好きなものを好きというのが怖い
思い出すのは、小学生〜中学生くらいの時の話。
「好きなもの」について話をしている時のこと。
「◯◯が好き」と言ったときに、「えーそんなの好きなの?」とか「え、何それ知らない」とか「その感覚わかんない」と言われたことが、何度かありました。
改めて思い返してみると、回数はたぶんそんなに多くないです。
言ってきた人も、多くない。(片手で足りる。)
しかも、悪気があって言ってるわけでもない。
そもそも私自身の趣味が少し変わっていたのはあると思いますが、当時の友達の反応をキツく感じて、冒頭に書いたように「なんでそんなこと言うの…かなしい…」と、ひっそりダメージを受けていたことを、いまだに思い出します。
ほんの数回だったけれど、そんな友達の反応が悲しくて、好きなものを口に出すのが怖くなりました。友達の好きなものの話に合わせることが多くなりました。いや、むしろそればっかりだった気がします。
大人になるにつれ「話ができる相手を選ぶ」ことを覚え、「うるさいね、お黙り」と心の中で唱えることを覚えましたが、幼少期の経験はよほどインパクトが大きいのか、今でも好きなものを開示するのは少し苦手です。
高校生:リスペクトの心地よさ
「相手に悪意があろうがなかろうが、自分の好きなものや自分の気持ちにネガティブな反応をされたら悲しい」というのが、子ども時代に学んだこと。
高校生くらいからは、なんとなくですが、「自分はそれをやらないようにしよう」と思って生きてきました。
「私は自分の好きなものが尊重されると嬉しいから、相手の好きなものも尊重したい」くらいの、単純な気持ちです。強く思っていたわけでもないので、ポリシーなどと言えるほどのものでもなく。
たまたまですが、高校時代は似たような感覚を持っているであろう友人やクラスメイトに恵まれ、のびのびと学校生活を送ることができました。
「好き」を開示することも、そういえば高校では自然とできていました。
当時ハモネプが流行っていて、歌好きの子たちとグループを組んで学祭に出たり。「仲良し」ではなく「歌好き」で集まったメンバーだったのは、すごく良い経験でした。懐かしいな、みんな元気かな。
お互いを尊重しあえる関係性の心地よさを、私は高校で学んだのだと思います。
「お互いを尊重する」というのは相手あっての話なので、ひとえに環境のおかげだったと思っています。そういう校風が「伝統」という言葉で表現されていたのは、今の私のように、大人になってから環境の良さに気づく人がたくさんいたのだろうと想像したりもします。
若かりし頃:恋は盲目
お互いを尊重しあえる関係性の心地よさを高校までで学んだはずでしたが、どうやら私は、それを恋愛関係には活かすことができなかったようです。
まさに、恋は盲目。
当時付き合っていた人に自分の好きなものを否定されて、私は怒ることができませんでした。あそこは怒るべきだったと感じる場面が、恋愛の中ではいくつもあります。これは、後悔です。
当時の私は、怒るどころか悲しむこともせず、「この人が気分良く会話をするには、私はどうすればいいんだろう」と考えていました。自分の感情を、全然大事にできていなかった。相手に依存していたのだと思います。
自分の好きなものよりも相手の好きなものを優先させることが優しさだと、勘違いしていました。たぶん、相手も似たところがあった気がします。
自分を大切にできるからこそ相手を大切にできるのだと、今だからこそ思いますが、当時はそこまで思い至ることができませんでした。若かったなと思います。
アラフォー:「好き」を大切にする効果
その後も人生紆余曲折あって、自分の好きなものがなんなのか全くわからなくなったりもしましたが(この辺りは別途書きたい気もする)、最近またやっと、自分の「好き」をキャッチできるようになってきました。
40歳になる前に、ここに戻ってこれて良かったと感じています。
「好き」って、とても純粋な気持ちなので、「好き」を大切にするだけで、自分自身を大切にしていると実感できます。自分を大切にする方法はいろいろあるけれど、「自分の感情を大切にする」ことは土台となる部分。しかも、小さなことから実践できるので、効果もかなり高いです。
40歳を目前にして、役割が増えてくる年齢だからこそ、何者でもない自分が好きなものを大切にする時間が必要なのだと感じます。
「何が好きか、それを大切にするために何をするか」というのは、一番わかりやすく自分らしさを体現する方法だとも思います。
まずは自分の「好き」を自覚する
大人になると、生活のために「◯◯しなくちゃ」が増えてくるから、その中で「好き」を大事にするのって、結構難しかったりします。(私は難しかった。)
内側の葛藤がわかりやすいです。
好きなことややりたいことがあっても「いやいや仕事あるし、これは今じゃない」と諦めることが日常になっていたり、休日のランチですら「私はパスタが食べたいけど、子どもたちラーメンって言うからラーメンだな」と自分の気持ちをしまい込んだり。
外側からの反応もあります。
「好き」を大切にしようとして、明後日の方向から批判を受けることもあると思います。「子どもがいるのに自分の娯楽を優先させるなんて…」と言われたり、「自分の歳を考えた方がいいんじゃない?」と言われたり。
「好き」を大切にできるようになるために、順序的には「外側からの反応を気にしなくなる→内側の葛藤を乗り越える」だと思っていて、最初の一歩は「自分の”好き”に自覚的になること(好きと言う気持ちに正直になること)」だと思っています。
誰にも言わなくて良いので、「私はこれが好きだ」と自覚する。
それを好きな自分を、自分で否定しない。
「私はそれが好きだよね」と、自分で自分を愛でる。
私の感覚としては、こんな感じです。
この感覚を取り戻すまでに10年以上かかったけれど。笑
人生、ほんとうに一歩一歩だと思います。
でも、前進しているという実感が持てれば、不安にはならない。
これからもコツコツと、生きていきたいと思います。