のりだ
筋金入りの「いい子ちゃん」で1985年生まれの私が、自分と向き合った記録です。不定期更新。
ワクワクして自分軸手帳を使い始めたはずなのに、なんと己の字の下手さで早々に挫折しそうになりました。字が下手でも手帳生活を楽しめるはずだと思い、手帳との歩みを記録しています。
一億総発信時代における「普通の人」の発信を考えます。独断と偏見です。
日々の学びのアウトプット。採用支援、対人支援に関することが多め。
なんとなく繊細さん寄りな気はしていたけれど、それならそれでちゃんと自覚したほうが良さそうだと思い立ち、無料診断をやってみました。 結果、HSP度は70%で、非HSS型HSEというものらしい。 人口比率だと2%非HSS型HSEは「明るくて社交的だけど繊細」らしく、人口比率では2%だとか。 「非HSS型HSEのあるある」として、下記が挙げられてたんだけど、まぁ納得。納得です。 人と会うことで元気がもらえるくせに、家に帰るとドッと疲れます。 優柔不断だし、衝動買いをすること
今日はひとりごと。 どうにも脳みそがパンパンで疲労感満載なので、最近のことを振り返りつつ、自分を労うためにnoteを書こうと思います。 ノンストップな日々9月半ばに娘がマイコプラズマ肺炎に罹り、復活したと思ったら学校行事&習い事イベント目白押しの10月に突入し、休むチャンスがないままノンストップで1ヶ月くらい走り続けている感じです。 さすがに疲れてる。 この2週間くらいで何度か体調を崩しているし(でも1日くらいで復活させてる)、疲れている自覚もあるのだけど、なかなかリセ
誰しも、人生の中で「決められない」「踏ん切りがつかない」ということがあると思います。 それはたぶん、自分以外の人に影響が及ぶだろうと思われる決断ほど、腰が重くなるもので、「決めないと進まない」とわかっていながら、自分から変化を起こすことがどうしようもなく怖くて躊躇してしまうもの。 本当は、腹を括って決めて、宣言して、人生を前に進めたい。 本当は、すぐにでも自分の心の声に従いたい。 でも、今は決められない。 そんなことが、大なり小なり、誰にでもあると思います。 20代ま
感情が動きすぎて、そのことを書いて自分を落ち着けたいと思うのだけど、誰かに話すことはおろか「自分だけに向けて書く」ことすら躊躇してしまうくらい、触れるのがしんどい感情に直面することがある。 話したいのに話せない。書きたいのに書けない。 ここで蓋をすると、その感情は腐っていくのだ。
人生全般において「頑張る」ことをやめたいと思いながら、ここ数ヶ月を過ごしてみていますが、なかなか「頑張らない」って難しいです。 (そういえば、少し前に「人生の前提を入れ替える」ということを書いたけれど、このときから止まってる。) 何かにつけて「頑張る」と言ってしまいがちで、いつも口に出してから「違う違う、そうじゃ、そうじゃない」と思うのだけど、昨日も仕事で同僚から「別に頑張らなくてもいいんですよ」って言われてしまいました。 キャパオーバーが近づいてくると視野が狭くなるの
諸事情ありまして、母子3人生活をかれこれ4年くらい続けています。 今、子どもたちは小6と小4。 母子3人生活を始めた時、下はまだ保育園に通っていたので、当時と比べるとそれはそれは楽になったけれど、「常に踏ん張っていないとどうにもならない時期」を脱したからこそ、「家に大人が自分ひとり」という状況で余裕を持つのは、すごく難しいなーとも感じています。 「譲れないもの」の設定が、欲張りなのもあるけれど。 「母子3人暮らしだから」という理由で、子どもたちに何かを諦めてもらうことは
ずっとずっと健康面にはうっすらと気をつけていたのですが、先月くらいから本格的に「内側も外側も元気で健康」を目標にしています。 「動かないと始まらない」という感じで、具体的な目標値を明確に定めずにできることからできる分だけ動き始めている状態。 「いつまでに、何を」という目標設定はそのうちでいいかな〜なんて思っていた中で、「予祝会」に参加する機会がありました。 実は「予祝会」には少しばかりとっつきにくいイメージを抱いていたので、今まで食わず嫌いをしていたのですが、参加してみ
「何のために生きてるのか」の答えは、「幸せになるために生きてる」より「幸せを感じるために生きてる」の方がしっくりくる。「幸せになる」って言ったら、今が幸せじゃないことが前提みたいな気がして。 未来の幸せのために今を我慢するって、なんかもったいない気がする。
「戦いの土俵から降りる」ということを、つらつらと考えています。 結果は出したい。 報酬も欲しい。 だけど、戦いたくない。 これが叶うのかと、考えています。 きっと、すべては捉え方次第。 今までと同じことをしていても、「戦わない」というスタンスを貫けるのなら、それは「戦いの土俵から降りて、結果を出す」ことに繋がるのだろうし、今までとやり方を変えたとしても、「結果を勝ち取る」という意識から抜け出せないのであれば、それは戦いの場に身を置き続けているということなのだと思う。
生理周期が短いので(きっかり25日)、これは自分の体質で変えられないものだと理解しているつもりでも「損してるよなぁ」と思ってしまいます。 生理の2〜3日前には必ず頭が痛くなるし、1日目と2日目はだいたい鎮痛剤を飲んでるし、貧血でふらふらになるし、とにかく生理前〜生理中は体調がいまいちです。生活に支障があるかと言われると、まぁ仕事はできるし運転もできるし、「ちょっと風邪ひいたようなもんです、なんとかなります」という感じ。メンタル面もグラつくけど影響は大きくないので、波が過ぎ去
子どもが体調不良(昨日も今日も欠席)。仕事がいっぱい。自分の通院もしたい。時間に余白がなさすぎて心の余裕も削られる。ああ、自分が3人くらいいてほしい。 …と思うことはしょっちゅうだけど、なんだかんだで元気にやってこれている。 そんな自分に自信を持つ。今日も1日、誠実に生きる。
少し前にHSP気質であることを自認して、ここ数週間くらい「自分の感情を素直に受け取る」ということを心がけているのですが、そしたらびっくりするくらい涙もろくなりました。 涙もろい自分が戻ってきた、と言う方が適切かしら。 こんなにも涙もろかったのかと驚いています。 ポジティブな方の感情だと、YouTubeのライブ映像とかで泣いてる。音楽に関しては1小節聴いただけで泣ける曲がたくさんある。 ネガティブな方の感情だと、ニュース映像を見られないどころかネットニュースの見出しを見るだ
「うるさいね、お黙り」案件だったものを、「なんでそんなこと言うの…かなしい…」と受け取って、いらぬダメージを受けてしまった経験が、それはまぁ大量にある。 …ということを、ふと思い出したので、「自分の”好き”を大切にすること」について、時系列で振り返りながらまとめてみようと思います。 自分へのエールを兼ねて。 小中学生:好きなものを好きというのが怖い思い出すのは、小学生〜中学生くらいの時の話。 「好きなもの」について話をしている時のこと。 「◯◯が好き」と言ったときに、
どんなに好きなことでも、やりたいことでも、「バランス」って大事。やりすぎは体にも心にも無理がかかる。無理をかけてるなと感じたら、離れたりゆるめたり調整していかないと、息切れして倒れちゃう。人生は長距離走。
「自分のやりたいこと」を、10年単位くらいで考えたり試行錯誤したりしているのですが、なかなかしっくりくる答えに辿り着くことができません。 やりたいことを考える中で、自分には情熱が無いのではないかと思うようになったし、そんな自分に対して諦めのような気持ちを持つこともありました。 それが最近、「応援したい人を全力で応援しているときが、一番ナチュラルにパワーを出せる」と気がつきました。つまり、その状態が「やりたいことをやっている自分」に近い気がしています。 「やりたいこと」に
仕事で生成AIに触れる機会がだんだんと増えてきて、まとめの作成や、検討の土台作りなどは、実際にAIにやってもらうことを心がけています。 まだまだ全然使いこなせていないですが、それでも「自分で書いたら15分くらいかかりそう」という文章量が秒で出てくるので、ものすごく便利だと感じています。 どんどん活用して、仕事の効率を上げていきたいと思っているところです。 一方で、秒で軽く1,000字を超える文章が出力されていくのを見て、なんとなくの寂しさや虚しさを感じていたりもします。