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ここまでのまとめ


1.ただの不定愁訴.....のはずだった...

とにかく昨年8月の末頃から、おかしなことが続いていました。
中学にあがったばかりの息子くん。夏休み明けから訴える吐き気、目眩、頭痛、腹痛、時々嘔吐....笑っちゃいけないコントレベルの不定愁訴オンパレード。

「お母さん、吐き気が」「お腹痛い」「頭痛い」と、最初は真面目に対応するものの、目眩の専門の耳鼻科や、腹痛を専門にする消化器内科、どこに連れて行っても、『ストレスでしょう』『胃腸炎でしょう』

頂いた内服で治るはずの身体のトラブルは、むしろ段々増えて、体調不良の報告連絡は次第にほとんど毎日ペースへ。正直、“どうしてこの子はこんなに脆いのかしら” としか受け止められなくなっていきました。

「多分それ気のせいよ〜」「多少、何かの症状があっても、みんな頑張っているのよ。多少の事なら乗り越えられる力を身につけなきゃね」「宿題終わってないから、余計にそんな症状出るんじゃないの?」なんて説得してみたりして。

そんな状況が約一ヶ月続いた9月の連休明けほどなく、学校に行く電車を完全に寝過ごし、2つ隣の県の終点まで行ってしまって、引き返すはずの電車で再び学校を通り過ぎそのまま帰宅する事件が。寝過ごして遅刻、の報告はよく聞いていましたが、反省するどころか戻りぎわすらまだ寝過ごす息子の態度に母プッツン。“せめて戻り際に学校へ行こうよ”と散々叱られるに至って
『なんでこんなに頑張ってるのか、分からなくなった』まるで大木が折れるかのように、学校を休み始めたのでした。

 驚く母、とにかく本人の思いを十二分に聞くことから始めました。実は人間関係がうまくいかないとか、何かあったのかな?と思ったのです。でも聞けば聞くほど『いじめではない』『(今の学校が)第一志望じゃなかったから』等申します。

だから余計に、完全にメンタルからの不登校だと思ってました。本人の困りごとを解消できるよう、学校の先生と連携して、フォローアップ。

私にわかる範囲で最大限の環境調整をしながら、不登校支援に関する情報を読み漁り、どうやら効果があると不登校支援者の研修にも使われているらしい動機づけ面接も意識的に使いながら関わっていきました。

動機づけ面接は、本人の意欲を引き出す面談の技術です。仕事の兼ね合いでたまたま使えたのはラッキーでした。

関わっていった結果......2週間休んだだけで、わりとすぐ登校再開できたのです。

初日は、私も付き添って行きました。少し違和感があったのは、息子がかなり青白い顔で、天を仰ぎながらずっと寝ていて、まるで疲れ切ったサラリーマンの深夜帰宅中のような様子だったこと。2月の受験の時は、母に座席を譲って、あんなにしゃんと前を見据えて立っていたのに...

でも『お母さん、こんなに早く戻って来れるなんて、すごい事ですよ!?』担任の先生のぴょんぴょん飛び跳ねるかのような雰囲気に気押されるかのように、本人も『月曜日からは自分で来れる』『もうお母さんついてこなくていい』と、翌週からまた何事もなかったかのように登校し始めました。動機づけ面接をそこそこマスターしてて、本当によかった。心底思った日でした。

ほっと一息。......も、束の間.....

そのさらに翌週、またもや、どうも様子がおかしいのです。『お母さん、本当にしんどいから.......本当にしんどいねん!お願いやから、休ませて!明日はちゃんと学校に行くから!』1日おきの登校が精一杯と言い張る息子。その週は1日おきで出席しました。

『体育の先生にさ、「眩暈がするから座らせて」って言ったらさ、“やりたくないからそんなん言うんやろ”とか言われたんやで。でもお母さん、俺、そんなんちゃうからな、ホンマそんなんちゃうからな。信じてな』

そんなエピソードもありながらも、これで少しずつ登校日数を増やせるなら、一旦はリハビリとしてアリかもしれないし、まずはそのまま様子見ることにしました。

でも残念ながら、3週後に待っていたのは、まるで、地獄絵図さながらの息子の姿でした。

前夜、『明日は学校に行く』けろりと話していたはずの息子、朝は布団の中に頭まで完全に潜り込み、『俺はもうダメなんだ〜❗️放っておいてくれ❗️もうどうでもいい、もうダメなんだ〜❗️』大号泣。

約7時間前に、『(明日は学校)行くで』あれだけけろりと宣言していた子ともはや同一人物とすら思えません。

完全にメンタル疾患を疑い、近くの小児科で、発達も見てくださるところにご相談しました。そのクリニックは、何ヶ月も待ちなのです。念のためにととってある予約はまだ来月。でももう一刻も待てません。先に神経科を受診したいので、小児神経疾患を診れる医師を教えて欲しいと申し出たところ、特別に、隙間時間を使って診てくださることになりました。神が降臨したかと思うほど、ありがたいお話でした。

2. 診断

結果は.......  起立性調節障害 (重症)

サブタイプ 体位性頻拍症候群 (POTS)
血圧は下がらないが、脈だけが著しく変動するタイプの自律神経失調症、とのことでした。

『お母さん、この体では、学校に行ったらヘロヘロで、週3日が精一杯だと思いますよ』と先生。それは本人の強く主張する内容に、ぴったりと当てはまるものだったのです。

あれ?でも、胃腸炎、偏頭痛と言われていたのですが......

医療の世界の中でもまだまだ周知が進んでいないとの事。診断できる先生と、まだそうではない先生とで判断が分かれてしまうそうです。

身体の成長に伴って、中の自律神経の発達が追いつかなくなった結果、十分に血液が心臓へ送り返せなくなり、身体の下半分に血液がたまって、血液不足になった色んな臓器があらゆる症状を訴える、そんな状態。そして、発達障害や精神疾患とよく間違えられるとのこと。

そして朝が一番調子が悪く、夜になるに従ってどんどん調子は良くなっていく。それは自律神経の働きのリズムが、朝はうまくスイッチが入らないためとのことでした。

3. 色んなサイン

診断を受けて、これまでまるでバラバラのジグソーパズルのように散らばっていた息子のあらゆる病名と主訴が、見事に組み合わさって、一つの病態が浮かび上がってきたのでした。

.......だから不定愁訴オンパレードだったんだ。

........だから、あの子の足は夏頃から鬱血して真っ黒だったんだ。あれ、絶対おかしい、絶対なんかあると感じてた....

......そういえば小4の終わり頃には忘れ物や不注意があまりにひどかった.......2年生の時より明らかに酷くて、でもてっきり発達障害のグレーゾーンかと思ってた。

よくよく思い返せば、いわゆる増悪期(春と秋)、小5の頃から、よく頭痛を訴えてた。ただの頭痛だと思って、痛み止め飲ませて様子見てただけだった...。(もちろん脳外科医の指示の下だけど.....)

そういえば....、小6の時は20分くらい立ってたら失神で倒れ、肘を骨折した事もあった。

そういえば...........、そういえば...........、

思い返せば、思い返すほど、息子にはずっと黄色信号点滅サインが、最近では赤信号の点滅になってきていたのに、受診先の先生の診断をそのまま鵜呑みにして、

何故この子はこんなに病気と怪我が多いんだろう?の答えを、発達や心の方からばかり見て、

彼の身体に本当に起きていたトラブルを、心のもちようと一蹴して、本人の気力だけで頑張らせてしまった事を、今でも心底後悔しています。

自律神経系の問題を、本人のやる気だけでカバーし続けていった結果、メンタルでカバーし切れない不調は、却って本人の身体を蝕んでいってしまったのでした。

4. 社会資源はどこに!?

診断がつき、約2ヶ月のお休みを経て、

再度、登校リハビリへ。

回復まで段階を踏むために、社会資源を探しました。適応教室、家庭センターの面談など。でもがどれも最寄駅から電車に乗って移動する必要があって、とどのつまりが“そこまで移動できる体がある”事を大前提にしているのです。............最寄駅まで移動して電車に乗れるなら、そもそも学校に行けるっちゅうねん。

私立までの移動の困難な間、自宅近所の公立中学(徒歩7分程度)へリハビリ期間のみ受け入れてもらうことは可能かの相談もしました。 インターナショナルスクールに通ってる子が、インターナショナルスクールのおやすみの間だけ公立に通っているのを知っていたので、一般の私立でもそれができたらなと思ったのです。

ところがここに【学籍】とやらの壁が。インターナショナルスクールの場合はそもそも学校として公には認められていないので「学籍」は公立にある、だから通うことができる。しかし私立は、学校として認められているので「学籍」そのものが私立にある。公立に行きたければ、その学籍を抜いて公立に移動しないといけないそうです。

早い話が、私立を辞めろってこと。

探しても、探しても、学校に復活するまでの間の小さな階段として使える公的社会資源がない、これは大ダメージでした。

私設のフリースクールはあちこちにありますが、サポート体制や進学状況など確認しても、もう一つパッとしないものばかり。

そんなある日。学校も塾も行けてなさすぎるので、「もう塾はやめようか」と言う話しを私がしたら息子氏、その塾には通い続けたかったようで、『俺はもう終わった...』却って寝込んでしまいました。

正直........行けない学校と塾に高額な学費に塾代まで払い続けて、寝込みたいのはこっちや......と言いたくなる気持ちはグッと堪え......

5. リハビリ再開

多くの人と相談した結果、息子は我が家より通いやすい親族宅に居候させてもらい、登校リハビリを進めて行くことになりました。

自宅からでは、電車をうっかり乗り過ごした時に、県を二つ超えてしまう。これは本人にとってダメージ大。

『(親族宅からなら)寝過ごしても、2つ隣の駅で止まる電車があるから』

今では息子、県を跨ぐ急行が目の前に来ても、自分にとって安全な普通電車を選び、リスク回避しながら、登校リハビリできるようになってきてるようです。登校できるのはまだ週に数回ですが、先日は先生にも「まずは1週間毎日通えるようになる事が目標です」と宣言したとか。紆余曲折を経て、前に進む姿は、涙なしには語れません。

(おまけ) 最近の「不登校」情報に思う

①公的機関は、「心ありき」に流されすぎている

ちなみに、2年前にも彼が体調不良を主訴に初めて1週間連続で学校に行けなくなった頃から、「不登校支援センター」「スクールカウンセリング」なるものに相談していましたが、ひたすら話を聞くだけで、『反抗期の一種』『男の子ってこんなもの』『学校に行けないのは、心のエネルギーを使い果たして疲れているから。お母さんがしっかり見守りましょう』的心を支えましょう助言ばかりで、こんな肝心な身体のトラブルがありうることなんて、一言も触れることなく、結果的に彼の病態を2年以上も放置してしまいました。

その経験から、申し訳ないですが、今の社会の不登校支援というのは、そのほとんどが、かつての私よろしく、「心ありき」に流れすぎていると個人的には考えています。

②不登校に支援は大切。そして、バージョンアップも同じくらい大切。

今の不登校支援に関わってくださっている方々が、みなさん大なり小なりご自身の不登校を乗り越えてきた体験があって、その皆さんの小中学生だった当時は起立性調節障害がここまでれっきとした身体疾患と言う認識がない時代だったので、乗り越えるのも相当辛かったと思うのです。

不登校体験を出版されている棚園正一さんの漫画の一コマは、その様子が端的に現れています。

昔の不登校の方々のお話を伺っていると、だるくて鬱のようだった、とか、頭が痛くて、とか驚くほど起立性調節障害の症状が口々に出てきます。今ですら、今回診断に行き着くまで7軒のハシゴが必要でしたから、昔ならもっと、診断にたどり着くのは難しかったでしょうね、と思うと胸が苦しいです。

公的には「「メンタル」とされている不登校のお子さんも、別の調査ではその6〜8割が「朝起きれない」「強い倦怠感や怠さ」が原因だったと言う最近の民間のデータもあります。

かつての起立性調節障害は「低血圧で気を失う」くらいのイメージでしたがどうやら違うらしい、もしかすると起立性調節障害の一部は、どうやら自己免疫疾患かもしれない、と言うエビデンスもで始めています。医学は進歩する。

登校支援も、「行きたくない、怠け病」を前提にしたものから、身体疾患のある病児の支援を早めにできるよう切り替えて行っていい時期なのかもしれません。

③身体疾患としての診断までには時間と根気が必要

本人のやる気を引き出す前に、

単に疲れ「だけ」癒す前に、

まず、病気があれば治療を優先するべきです。

起立性調節障害は、とても身体の病気には見えないような本人の言動がもれなくセットでついてくる。著しい脳血流の低下がありますから、起きている時には発達障害にも間違われます。専門外の先生ではなかなか見つけられなかったり、ようやくクリニックに足を運べる午後の時間帯には症状がすっかり改善していたり、この病気の見つかりにくさや難しさがあると考えてもいます。

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碧
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