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動揺した地面/記憶を踏みならすこと:『その街のこども 劇場版』と阪神・淡路大震災

5時46分を待つこと

ぼくは2025年1月17日の夜、シネリーブル神戸にいた。阪神・淡路大震災15年特別企画『その街のこども 劇場版』(2010年、井上剛監督)が再び上映される機会に駆けつけたのだ。そのトークイベントでは、本作品のプロデューサー・京田光広が登壇し、つぎのように語った。「今年は阪神・淡路大震災から30年。今朝の東遊園地で行われた追悼のつどいには例年以上に多くの人が詰めかけていた。でも震災発生時刻の5時46分に近づくと、みんながゆっくりと沈黙し始める。その時間が良いと思えた。」

 奥行きのある言葉だと思った。わたしたちは「あの1月17日5時46分」を二度と繰り返したくはない。しかし誤解を恐れずに言えば、1月17日5時46分という震災発生時刻を、わたしたちはそれぞれの想いを抱えて待っている。5時46分の直前、黙祷を捧げるまでに熟成させてきた膨大な時間こそが、むしろ本質的な「祈りの時間」だったことに気づく。そして黙祷を捧げ、つぎの1月17日5時46分を待ち続ける。神戸に住む人たちの体内時計は、おおよそこのように作動していると思われる。そして「5時46分を待つこと」を描く映画があるとすれば、それは『その街のこども 劇場版』である。

噛み合わないこと

『その街のこども 劇場版』は、NHK大阪放送局で制作されたドラマを上映用に再編集したものだ。神戸市灘区出身の森山未來、東灘区で被災経験のある佐藤江梨子を主軸に、神戸市民や震災遺族の方々が出演している。そして脚本は渡辺あや、音楽は大友良英といった盤石の布陣で制作されている。

 2010年1月16日。東京の建築会社で働く勇治(森山未來)は、上司と広島へ向かう途中、ひと思いに新神戸駅へと降り立つ。同じ新幹線から下車した美夏(佐藤江梨子)に話しかけられる勇治は、成り行きで三宮まで一緒に向かうことにする。
 カフェや居酒屋で話しているうちに、二人は阪神・淡路大震災の被災者であり、別様の想いで震災を記憶していることがわかる。震災にたいする想いの「ズレ」がすれ違いを引き起こしつつも、美夏の「三宮から御影のおばあちゃん家まで歩いて帰って、明朝の東遊園地で開催される追悼のつどいのために三宮まで歩いて戻る」という半ば無謀な計画に、勇治はいよいよ付き添うことになる。

 地震とは、噛み合っていたプレート間にストレスが生じ、「噛み合わない」状態になって発生するエネルギーのことでもある。わたしたちはあらゆる「噛み合わなさ」に常に脅かされている。コミュニケーションも同様だ。勇治と美夏は、序盤の居酒屋で互いの震災経験を話すなかで、決定的な「噛み合わなさ」を感じる。たとえば被災地で1本2,000円で焼き芋を売るひとの是非についても、両者の意見は食い違う。それは、震災を経て15年が経とうとするまで被災経験と直接向き合ってこなかった二人の現実との「噛み合わなさ」と同期している。その苛立ちと違和感をずっと抱えながら成人した二人は、噛み合わないまま深夜の神戸をそぞろ歩くことになる。

 本作品は全編を通じて、踏み出したり躊躇したり踵を返す脚/足の表情がきわめて豊かである。たとえば、夜通し神戸を歩くことを決意する美夏は、鋭利なヒールのロングブーツからフラットで歩きやすい靴に履き替える。それはただ「歩きやすさ」を求めた結果ではない。彼女はハイヒールという「点」で神戸の地面と向き合うのをやめて、「面」で地面と関わり合う決意をしたのだ。その行為は、自分と地面が、震災後15年の時を経てうまく「噛み合う」ことを願っているかのようだ。
 このように脚/足を執拗に捉えることは、まさに本作の「歩くこと」の主題を強調する。噛み合わせの悪い二人が「歩くこと」を通じてチューニングを施していき、やがては噛み合うようになるのだ。その意味で本作品は、チューニングの時間(=復興)を間接的に描いていると言える。しかし、なぜ二人はタクシーや自転車などの「効率的」な手段を使わずに長距離を歩く選択をするのか。

震災を「描く」のではなく、「歩く」こと

 それにしても、震災を「描く」とは何か。あるいは、震災は「描ける」のか。「描ける」可能性があるなら、何をもってすれば震災を「描いた」ことになるのか。本作品はこのように問うている。
 勇治と美夏は、深夜の神戸をひたすら歩いて阪神・淡路大震災の記憶を辿り直していく。震災を「描く」場合、地震の揺れや被災直後の再現シーンを大いに時間を割いて活写するのがもっとも「効率的」である。なぜなら一発で鑑賞者の恐怖や悲哀といった感情的なボリュームを引き上げることができるからだ。一方で本作品は、実際の映像資料が稀に挿入されるだけで、被害状況の再現は一切しないという実験的な試みをしている。この方法では鑑賞者の感情を掻き立てるには非常に時間がかかる。しかしこの「非効率さ」は、勇治と美夏が執拗に「歩く」選択をしたことと重なる。ゆっくりと時間をかけて、「描く」よりも「歩く」ことで震災を浮かび上がらせる。

 そもそもなぜ本作品は、震災の記憶を「回想」しないのか。わたしたちは映画の登場人物たちの「回想シーン」を容易く受け入れることができるが、映画という表現方法のデタラメを疑うことは案外むずかしい。本作品にならえば、美夏の「回想シーン」があったとして、勇治は鑑賞者とともにそれを観ることができただろうか。つまり、回想とはそもそも登場人物間で物理的に共有不可能なのだ。
 だからこそ、本作品は二人をひたすら歩かせる。両者の記憶を映像として見せ合う便利な回想シーンなどは、現実のコミュニケーションには存在しないからだ。本作品は、地面と記憶をともになぞるように歩くことで、二人が偶発的に過去を語ることに賭けているのである。

振り返ること

『その街のこども 劇場版』の驚きのひとつは、上映時間のほとんどが三宮と御影のおばあちゃんの家の「往復」に割かれていることだ。勇治と美夏は、来た道を振り返って、もういちど歩く。横一列になったり縦一列になったり離れたりして歩く。そうすると自然と「振り返る」動作が生まれる。その「振り返る」動作は、両者の過去の記憶との対峙と繋がっている。

 間もなく三宮に到着するという道中、キャメラが突然二人の後ろから前方までぐるりと旋回する(いわばキャメラが振り返る)。その二人の肩越しには、深夜に煌々と光るマンションの一室が捉えられる。美夏は、あの一室がかつて震災で亡くなった親友「ゆっち」の家であり、震災遺族となったゆっちの父が独りで住んでいることを思い出す。美夏はマンションの方へ振り返り、15年ぶりにその家へ訪問する。置いてけぼりの勇治は近くのコンビニで時間を潰す。しかし彼はコンビニで、何を思ったか踵を返すように駆け出す。音楽がその足の動きと同調していく。勇治が元の場所に戻ると、ちょうど美夏もマンションから戻っていた。美夏の手には「ゆっち」と映る写真が数枚握られている。美夏の背中越しに映る一室の光から、友人の父がこちらを見て手を振っている。勇治は気さくに手を振るが、美夏はなかなか振り向くことができない。やがて美夏は思い切って振り向き、泣きながら手を振る。「振り返る」行為が、震災と訣別してきた自身をようやく神戸の地に招き入れる。それは未来に向かった前向きな振り返りなのである。

さいごに 〜震災に関わり切れなかったひとたち〜

 二人は三宮の東遊園地に到着するが、勇治は「追悼のつどい」に出る選択をしない。美夏と1年後に再会の約束を交わした彼は、「1.17」という数字に明かりを灯したビルには一切見向きもせず、背を向けて去っていく。「追悼式典に参加する資格がまだ自分にはない」という考えが勇治に過ったのだろう。感動的な局面にはあえて到達させないこの演出は、しかし希望のある未来へ大いに開かれたラストシーンでもある。
 わたしたちの多くは、自分がさまざまな意味で「被災者」であったとしても、震災そのものを語ったり表現したりすることへの「資格」に悩まされる。しかしだれそれに語る「資格」がある/ないなど、そもそもだれが評価して決めるのだろうか。本作品は徹底的に「歩く」ことを通じて、徹底的に「語らずして語る」。かつて揺動した地面/記憶を足でなぞっていくその仕草が、震災の有り様を雄弁に物語っている。そして「歩く」ことはだれにも邪魔されることはない。何より二人は、語る資格を取り戻すことは選択していない。震災について面と向かって関わり切れなかった自身と、かつて揺動した地面/記憶が、時を越えてチューニングされていく。歩く時間があったから馴染んでいく。『その街のこども  劇場版』は、震災を「描く」という別のポジティブな可能性を示しただけでなく、震災と真っ向で関わり切れなかった人々の想いや過ごしてきた時間の尊さを掬い取った稀有な作品である。

 2024年12月21日〜2025年3月9日まで兵庫県立美術館で開催する「1995⇄2025 30年目のわたしたち」という展覧会で、1995年1月17日の発災前に印刷された神戸新聞の朝刊が展示されていた。それはあたかも、阪神・淡路大震災が存在しない世界線の「1月17日」を当たり前のように報じたものだった。しかしわたしたちは、震災後の世界線で確かに生き、追悼し、そして死のうとしている。それでもなお、いちど瓦礫と化した神戸には「その街のこども」が生まれている。それが不幸であるなどと、いったいだれが決めつけられようか。


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