「自己受容」の誤解(その1)
私は長いこと、「自己受容」という言葉を誤解して、頭で解釈する「自己受容」、つまり、真の自己受容とは正反対のことをずっとしてきました。
言葉って難しいですね。「受容」を辞書で調べると「受け入れる」と出てきます。
ポジティブであれネガティブであれ、どんな自分の要素も、これで良いのだと認識したり、批判せず優しい言葉をかけたりして、受け入れることなのかなと解釈していました。
いざ、この解釈で受容しようとしても、どうしてもうまくできない。
自分のあんなところやこんなところ、ありのまま受け入れることができればいいけど、できないから辛いのではないか!とムンクの叫び的な声が内側からやってくる。
そんな声を無視して受け入れようとするのは、自然に湧き出る自分の声を無視して、綺麗ごとで蓋をしてしまうことでした。結果、何も変わらないばかりか、受容という言葉にむかつきすら覚え始めていました。
次に続く…