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愛と情をごっちゃにした「愛情」を子どもに押し付けちゃあいけないそうだ

日本語の愛情という言葉は翻訳が難しいそうだ。愛と情をごっちゃにしているから。
愛と情は別物。愛は相手に向くもので、情は自身の感情だ。
その全く別のものをくっつけて、愛情として相手に押し付ける。

例えば子どもへの愛情。
我が子にとって良かれと親がすることが、愛ではなく情の方が強いことはよくある。
別の言い方をすると叱ると怒るの違い。叱るは愛で、怒るは情だ。

叱るは相手のためであるので、自身は冷静だ。冷静に論理的に子どもの悪い行動を指摘する。
怒るは自身の暴走した感情を子ぶつけるので良くないそうだ。
〇〇だそうだなんて他人事みたいな書き方をしているのは僕がこの決めつけに賛成していないから。

いや、いくら冷静に叱ろうとしてもどうしても感情はこもるでしょう。
そもそも叱る動機は感情から生まれると思っている。
いつも完全に冷静に論理的に叱ってくる親だったら僕は怖い。逃げられないし反撃できないから。

情で怒りをぶつけるのも、愛で冷静に叱るのも子どもへの攻撃であることに変わりはない。
でも情には反撃できるのだ。
 日本人は愛と情をごっちゃにしているからいけないと言う人もいる。でもそれは仕方がない。

親はその葛藤で子育てをする。その葛藤そのものが子どもに伝わるのが必要だ。
親も子も人間だから。
もちろん愛と情を別物だと知っておくのは損ではないし、できれば分けた方がいいんだろう。

そうして人は自分を正しい方にぎゅうぎゅうしていく。
ぎゅうぎゅうしているものはいつか弾ける。現実で弾けたら困る。
冒頭1分からそんな人たちが弾けて地球を焼き尽くそうとする。

それに対して愛と情をごっちゃにして全力でぶつけてどうにかする主人公たち。
それを圧倒的アニメーションで描いた映画が『プロメア』だ。
映画の中なら遠慮なく、愛と情をまとめて燃やしてぶつければいい。


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