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言葉の旅

こんないいおっさんになってもビックリマンチョコを買ってキラキラシールが出るとめっちゃテンションが上がる@zaza_seinoです。

このシールをたくさん集めたからといってなにが起こるわけでもなく、ただひたすらに自分の中の童心が揺さぶられ、あの美味しいチョコとウェハースのハーモニーが何年経っても自分の脳と舌が当時の記憶を呼び戻されたり、純粋にその感覚を楽しんでいるだけなのかもしれない。あるいは"集める"という行為そのものに、深い沼にハマったような気がしている。

とまぁビックリマンが好きだと一言いってしまえば完結することをこうもまあダラダラとかいてみたりする。


こうした話の肉付けや、人伝いに続く伝承などは様々な経路や長い年月を経て、様々な形で存在する。そしてその介在役はいつだって人なのだ。


言葉は時として遠回りをしたことによって、まだ知らないどこかの誰かに届いたりもする。あるいは自分のことを評価されたい時は、自分から"自分はこれくらい凄い"と言ってしまうよりも、第三者が自分のことを話ししてくれた方が認知も評価も上がる。


自分が作ったヘアスタイルも

メーカーが作った商品も


TVCMあるいはインターネットやSNSを介在として自らその製品やデザインをアピールはするものの、大切なのはそれを使った人が何を感じどう思い、その後どうだったのかの感想という表現をいかに素早くキャッチし、改善あるいは糧にしていくかどうか。


直接的に言っていただけたら早いかもしれないけど、長年使ってみてわかることも、ふとした瞬間に気づくこともある。


そのような言葉たちは巡り巡って、直接的にあるいは間接的に自分の手元に届くことがある。


"好きだ"という思いも、日常のたわいもない話も、サービスを受けた時の何気ない言葉も、いろんなところを巡ってくるとある時ふと、その言葉が自分に返ってくる日がある。そして自分の言葉がどこかの誰かと合致する瞬間が時として訪れる。


SNSが日常の今、この双方向でのキャッチアンドリリースとスピードが大切なんだなと実感し、今日もビックリマンを買っては1人ほくそ笑んでみたり。














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