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射し込む光は突然に
立秋も過ぎ、気温に少しの秋らしさを感じつつも、毎朝汗だくになりながら通勤してます。勝手な自分の感覚ですが、今年はいつもの年より緑が青々として見える気がしてます。
突然ですが、自分には苦手なことや不得意なことが多く、先送りにしてきたことが山ほどあります。幼少期の頃の嫌いな食べ物や、運動においても長い距離走るのが苦手だったりと。
こと自分の仕事においても、髪をカットすることは好きだが、髪をアレンジしたり結ったりするのは苦手で。それでもやはり仕事上身につけていかなければならないスキルなので向き合ってきました。
時が経ち、あれほど嫌いだった食べ物や、自分が苦手な行動が、なぜだか突然すとんっと自分の中に落ちてくる時があります。あんなに嫌いだった食べ物が、大人になり食べてみるとこんなにも美味しいものだったなんて。あんなに嫌だった走ることがこんなにも気持ちいいなんてなんで気付かなかったのだろうか。
僕ら技術職の人間はこんな感覚になることが多いのではないだろうかとふと思います。
何かを習得するには鍛錬やそれに費やす時間が不可欠である。だからといってそれがすぐに身になるかと言ったらそれはそれでイコール関係にはならず。
自転車に乗れない子供が毎日毎日練習して、ある日突然乗れるようになる。
ゲームで何度も何度も失敗してクリアできないけど、ふとした瞬間にクリアできることも。
悩みに悩んだ末に解決できなかった事案が、ある日突然閃くことも。
必死で毎日毎日分厚い雲を手でかき分け、右だ左だと右往左往しながら時には後ろに下がってみたり、それでもなお光が見えずにもがいてもがいて。諦めという言葉が何度も勧誘をしてきては、それを拒みながらも。
だけどある時、突然に光は向こうからやってくる。
えっ?って戸惑うくらいにやってくる時もある。それは毎日の努力を重ねに重ねてそれこそ血の滲むような鍛錬の先にあるものかもしれないし、自身の見聞や知見が広がりアイデアや選択が増えたからかもしれない。あるいは身体的成長を伴ったのかもしれない。
いずれにしても自分ではないところからふとやってくる光は、ある種の強制的に自分の中の広がりを照らしだしてくれる存在なのかもしれない。
最近動画編集などをしているが、やり始めた頃はテロップを声に合わせて入れるの大変だとか、様々なことが難しく、一本の動画を作るのにそれこそ1週間くらいを要してしまっていたが、最近はだいぶそのコツが掴めてきた感覚があります。それは単に数を行なっているだけでなく、もしかしたら山ほどの他の動画を見ていたりしているからなのかもしれません。
まぁいずれにせよ新しいスキルが備わるのはこの上なく嬉しいですね。(その分何かを忘れてしまうのかもしれませんが)
緑が青々と見えるという感覚もまた一種の光なのかもしれません。