公人ってどこまで?
1.心に引っかかったこと。
先日、ネットを徘徊していると、オリンピックに出た某競技の方が不倫しているのが信じられないと書いていました。不倫をすることが信じられないのは個人の自由ですから気にならないのですが、オリンピックに出たら私人(その日記には個人と書いてましたが)ではなく、公人だからって書いていたことに「えっ?」と思った訳です。
公人って辞書で調べてみました。
③に入るから、公人と言えば公人になるんでしょうけど、その方の説明がめちゃくちゃ引っかかったんです。
説明されるに、「オリンピアンは公人だから周りに影響を与え、スポンサーや仕事をなくす人間がいるからダメ」って。
それって、私人でも一緒じゃないですか。範囲は広かろうが狭かろうが、この説明の仕方じゃ、私人はOK。公人はNGってなり兼ねないと思うのです。少なくとも僕はそう読み取りました。
2.個人的に思う公人って考え方。
メディアに取り上げられれば公人って考えは何か違うなぁって思うんです。厳密な公人というのは上の引用で言えば①であって、芸能人やスポーツ選手などの方とは違うって思うのです。
もちろんそのような方の不適切発言などはメディアなりが取り上げるのは結構ですが、それって、私人でも特に公的な場であれば信用も無くすわけですし、やってはいけないことは公人だろうが私人だろうが変わることはない訳ですよ。
メディア等で活躍されいる方は人気商売ですので、それでご飯が食べられなくなるだけで、公人とか私人とかで語るものではないでしょうしね。その方に社会的影響力があるから、発言には注意する必要はあるでしょうけど、人気が仕事と関係があるわけですから、ご自身で身を処されるべき事項かなと。公人だから守れはとても暴論ですよね、って思う訳で。
3.何故、この件に僕がひっかかったのか。
この件を記事にまでして書こうと思ったのは三つあって、一つ目は上で述べた公人・私人の問題ではないのに、それで説明するのはおかしいなって思ったことです。これに関しては上記で説明したので、これ以上はありません。
二つ目はこれも少し述べましたが、オリンピアンを公人として扱うべきかっていう問題です。
おそらく、僕が見た日記の書いた方の問題意識としてメディアに出ているから、オリンピアン自身が得をしているからってのは背景にはあるのかなと思いますが、日本のスポーツ環境はほぼほぼ個人で何とかしていることが多いです。
野球とか、サッカーとか、水泳とか、陸上とかぐらいじゃないですか?ここで挙げた競技の全員が自腹切ってないってこともないでしょうし。
オリンピアンの競技に待遇の違いはこの対談動画でよくわかると思います。
特にこの対談の11分ぐらいからみられると違いが分かるかと思います。日本で比較的メジャーな競技である野球とバレーでこれだけの差です。他の競技はどうなんでしょうか?
それについては、こんな報告書があります。2014年と少し古いですが、そんな数年で全体が劇的に変化することではないので、今も概ねこのような感じだと思います。
これ見て、オリンピアンを公人って言えるのかなって思います。ほぼほぼ私人でしょ?って。テレビに出てるから公人ってのはどうも僕には引っ掛かります。
3つ目は自分の意見が絶対だってのがすごく怖かったです。つるし上げは嫌いなので直接日記は載せませんが、このオリンピアンの日記のあとに、「バイトと社員では同じ罪をしても影響力が違うから責任レベルが違う」とか、「障がい者と健常者とで頑張りは違う」とか、話が飛躍している感があって、本来の主旨からズレてませんか?って思うんですよね。
書こう書こうとしてちゃんと書けてませんが、物事の見え方って多角的に捉えないとダメだと思うんですよね。あなたの見ている方向だけが正しいと思っていたら大間違いだったことなんていっぱいあるのですよ。
あ、批判じゃないですよ。見え方の問題なだけで、こんな方も居られるんだって、僕の中で参考になったし、考える材料ができたので一つの事例として記事に書かせてもらいました。くれぐれも個人攻撃じゃないですからね。そこだけは明記させてもらいます。
個人攻撃ではないですよ。ほんとうに。
ただ、その人の日記に「障がいを持った」って表現があったのですが、この表現が嫌いで、界隈の人間は「障がいのある」って表現を使っています。それこそ「持って」ない方が「持つ」って表現することに違和感があるんですけど。それが一番引っ掛かりましたね。