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ざっくり日本史(私の日本史一考察)第1回

1-1.さて、はじめてみますか。(この連載に向けてのごあいさつ)

 いきなりですが、マガジンのタイトルを少し変更しました。「一」を付け足しました。
 あくまで、これは僕が思う一考察であって、これが万人に正しいというように思っていません。正しさっていうのは立場や時代でコロコロ変わるものと認識しています。
 なので、あくまでフラットな立場での個人としての考察だから、「一」考察と改題させてもらいました。

 いつも文章書くときに思うのが、書き出しに困るんですよねぇ。書き出しが乗ったらそこから進むのですが、書き出しがしっかりしないと何かしっくりこなくなるんです。なので、書こうと思うまで1週間かかってしまった次第。

 あと、どこから書いたらなぁって思って。あくまで、苦手な人向けにできるだけ幹だけを書いていきたいと思っていますが、この書き手、ついつい脱線してしまう癖があって、それをそのまま載せてしまうので、混乱してしまうかぁとか感じて、そこから進まなくなるんです。

 そうしたら、あーだこーだ考えてしまって・・・ってなるので、とりあえず、日本列島に日本人が来たところからできるだけ簡単に書き始めていきます。

 わからないこと、疑問などはコメント等で教えてもらえるとお答えさせてもらいます。
 ではでは、本編に。。。

1-2.日本列島に人類が来たころから定住するまで。

1-2.1人々が日本列島にやってくるまで。

 約4万年前ごろ、日本列島に人類が移ってきたと言われています。その頃は日本は氷河期で水が氷となり固まることで海面が現在よりも低く、ユーラシア大陸と繋がっていました。人類が日本列島に移動してきたのはマンモスなどの獲物を狩猟するためだと考えられています。
 その頃の人々は洞くつやテント式の住居で移動して、狩猟生活をしていました。この時代を「旧石器時代」といいます。旧石器とは打製石器のことです。

打製石器(イラスト)


 日本史の時代の分け方を区分と言いますが最初の区分はは人類の進化に特徴的な道具などで分けています。その最初が石器です。先取りをすれば、そこから土器となってきて、古墳に変わっていきます。


1-2.2人々が日本列島に定住するまで。

 約1万年頃になると、氷河期がおわり、海面が上昇してほぼ今の日本列島の形になりました。氷河期が終わったことで、気温が上昇して暖かくなり、木の実や穀物などを採れるようになりました。木の実や穀物を食べるために、人々は土器を生み出しました。

 木の実はそのまま食べることができるものもありましたが、渋味が出てそのままで食べられるものもありませんでした。それを煮炊きして食べられるようんししたり、その渋みを処理するために水にさらして処理するために容器が必要でした。そのために発明されたものが土器になります。

 土器の特徴として、目で様をつけていた土器が多かったので、縄文土器と呼ばれています。この縄文土器を使って食べ物を煮たり蓄えたりすることが可能になりました。

縄文土器(イラスト)

 また、このころには弓矢や丸木舟などの道具が発明され、シカやイノシシ、マグロやアザラシなど多くの獲物を狩ることができるようになりました。

丸木舟(イメージ)
弓矢(イラスト)

 

 このように食料を得る手段が多くなり、人々の生活が安定をします。何よりも食料を得るために移動しなくていいようになり、定住生活が送れるようになりました。
 このころの人々は竪穴住居という地面を掘った上に屋根を作った住居に住んでいました。この竪穴住居を数軒建て、20人~30人が集まって集落が生まれるようになりました。

竪穴住居

 また、青森県にある「三内丸山遺跡」では約5500年前にあった500人規模の大集落が発掘されています。

三内丸山遺跡

このように、縄文土器を発明し、食べ物を蓄えることが可能となり、定住をはじめた時代のことを縄文時代といいます。

 といったところで、今回はここまで。
 実はもう少しお話ししたかったのですが、余り長い文章にすると読むほうも疲れるかなと思ったので。
 ではでは。
 

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あーびん
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