最近はまっているもの
これは
あるnoterさんが どう考えても川柳だと思うものを
俳句だと記事にあげていたことから始まります
ほうっておけばいいものを
またおせっかいおばさんの気質が
むくむく沸き上がり
「おせっかいとは思いますが、
おそらくそれは川柳じゃないかなと思います」
とコメントしてしまいました
わたしだってしばらくは悩むんです
どうしたものかと・・・
でも最後はエイヤーと勢いでクリック
その方はそんなわたしの無礼に腹も立てず
この方の記事を紹介してくれました。
それだけではなく
後に自分のは川柳だと思います
のりさんありがとうとと言ってくれたんです
なんとこころの広い人だろう
感動しました
今その人が少し元気がないので
なんとかしてあげたいのですが難しい問題です
わたしは、猫も好きだけど
同じくらい人間がすきで
悪気はないのだけれど
もっと関わりたいとか
間違いはなんとかしてあげたいとか
若い人には
広い視野を持ってほしいとか思ってしまうんです
放っておけばいいものを・・・
そこで反応が二分してします
怒って連絡を絶つ人と
このかたのような寛大な方
わたしは前者の人とは縁がなかったと思い
かなしいけれどお別れします
どんな世界でも
すべての人に受け入れらえる人などはいません
そんな人がいたらそれこそ偽善です
どの社会にも多くが集まれば
好き嫌いは生まれます
だから、何にもこだわらず
自分に合う人と過ごせばいいと思っています
あら話が反れましたね
これもいつもの悪い癖です<(_ _)>
それで
現代俳句協会会員の方の
他の記事も読み進んて行くうちに
愛媛は俳句大国だと
小学生の頃
教師から刷り込まれた記憶がよみがえり
最近すっかり俳句にはまっています
2週間ほど前には
見出し写真のように
とうとう歳時記を買ってしまいました
まだ暗き 苅田のあぜを 闊歩する
ひっそりと 朝明けゆくを 鳥渡る
苅田 渡り鳥が秋の季語です
朝の散歩も俳句を考えるようになって
より楽しいものになりました
もう寒すぎて、外に出でられないと
泣き言を言ってる暇もありません
お粗末さまでした。