noriの大学時代
この記事は、私の暗い過去の話なので、苦手な方は読まないようにしてください。
大学2年の学年末試験の日、私は救急車で病院に運ばれました。
この事は今でも思い出したくない過去ですが、沢山の人に心配をかけましたし、自分に向き合う為にも、忘れては行けないと思っています。
理学療法の実技試験、私は合格できる自信がありませんでした。
当時は大学の勉強以外に、ボランティア活動が楽しくて、試験勉強に熱が入りませんでした。
それで、進級する為には必修の試験なのにもかかわらず、私は無断で休む事にしました。
すると、心配した同級生が私の自宅まで様子を見に来ました。
私は布団の中に入って動きませんでした。
同級生は大家さんに事情を説明して、部屋の鍵を開けさせました。
布団の中にいる私に声をかけたのは誰だったか……。
私は目を開けました。
でも、声を出せませんでした。
試験に行きたくない、なんて言えないし、私はぼーっとしていました。
それを見た彼らは、様子がおかしいと感じて救急車を呼んだのです。
病院ではCT検査を受けて、他にも何か検査をして、点滴を打ちました。
私はずっと声が出せませんでした。
大家さんが電話したのか、昼過ぎには両親が病院に駆け付けました。
その頃、ようやく話せるようになったんじゃないかな。
私の祖父は脳卒中で亡くなったので、両親はよほど心配したと思います。
今、この文章を書きながら、なんて浅はかな酷い事をしたんだ、と反省しています。
それでも、試験を休むつもりでいたなんて事は、いまだに誰にも話せていません。
その後、試験は特別に受けなくていい事になり、進級はする事ができました。
ズルをしたようなものです。
しかし、3年生の病院実習が始まると、私はまた無断で休んでしまいました。
頭が働かなくて、実習に必要な沢山の事柄を覚える事ができませんでした。
病院実習自体は割と楽しかったのに、なぜ行きたくないと感じたのか。
似たような経験を、私は中学校の部活動で経験しました。
部活動をやった後は清々しい気持ちになるのに、やる前は行きたくないと感じてしまう。
行ってしまえば何とかなるのに、自分の全力が出せそうに無い状態だと、弱気モードに拍車がかかって行かない方を選ぼうとする。
私の悪い癖です。
でも、今思い返してみると、色々と限界だったんだと思います。
食生活だってそうです。
初めての一人暮らしで、1年生の頃は楽しく自炊もできていましたが、2年生からは授業数も増えて、レポートなどの課題が山積みで、帰宅後に夕食を作るなんて難しくなりました。
そうなると、帰りにスーパーで惣菜を買ったり、夜食はコンビニでパンを買います。
それまで取らないように気を付けていた、食品添加物がたくさん体内に入る事になって、健康を害したのは間違いないと思います。
さらに、大学のソフトボールサークル長を1年生の終わりから任されて、サークル代表委員会では委員長になってしまいました。(ジャンケンで負けて)
サークル助成金の監査など、なんか面倒な仕事だったと記憶しています。
私のキャパを軽く超えていました。
そして、そんな自分の事を守りなさい、っていう自分自身からのサインが病気発症だったんだと思います。
病院実習へ行けない時点で、もっと今後の事をちゃんと考えるべきでした。
でも、私は理学療法士になって地元の医療に貢献する事が夢だったので、どうしてもその夢を叶えたくて、後期は休学して、留年する事を決めました。
担任の先生はそんな私に優しくて、休学中でも高齢者施設の介護予防教室に同行させてくれたり、来期からは同級生となる後輩の授業に混じって復習ができるようにもしてくれました。
それでも、2週間頑張ったら、1週間は朝起きられなくなる状態は続いていて、精神科の先生からは鬱病だからと入院をすすめられました。
私は復学をあきらめたくなくて、大学病院で検査してもらう事にしました。
検査結果は鬱病ではない、という事で復学してもいいと言われたのですが、双極性障害だったんですね……。
双極性障害の診断はずっと後になってからの事でした。
結局、4月から復学したものの、授業を相変わらず無断で休み、5月には家族に話をして、大学を辞める事にしました。
また休学して入院したとしても、私にはもう無理だと思ったからです。
1年間浪人してまで入った大学を辞めるという決意。
あの日、家族に話しながら泣きました。
その後、私の新しい生活が始まりましたが、それはまた次の機会に。
ここまで読んで下さり、どうもありがとうございます。
この記事を書きながら、amazarashiの「未来になれなかったあの夜に」を聴いて泣きました。
(amazarashi Official YouTube Channelより)
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