躾と虐待の違い MY TREE
前にこの記事でも少し書いたけど
うちは数年前まで
虐待されていた。犯罪被害者だ。
と自分の事を言いたくなかったし思いたくなかった
口に出せるようになったのは
マイツリー
というプログラムに参加したから
マイツリーに行く前は
自分は虐待じゃなく行き過ぎた躾を受けていたと思っていた
愛されてるから殴られると思っていた
父親がよくそう言ってたから
どうでも良かったら手は出さんと
ただ高校の頃には
こいつはシバカなわからん奴
と言われるようになっていた
口だけで理解できる!
殴られたり怒鳴られると
怖くて声がでない、頭が回らない、怖いだけ
だからやめてって言いたかったけど
いつも頭ん中では沢山言いたい事でてくるのに言葉にそれを出せなかった
喉がきゅってなって声が出なかった
そんな感じで過ごしてきたから
大人になって
虐待と躾の違いがよくわからんかった
なんで叩いたらあかんのかわからんかった
叩くことをあかん事、虐待と言うことになったら
じゃあうちは虐待されて育ってきたって事になるやんって
愛されてるから叩かれてたんじゃないの?って
うちの育った人生を全て否定されてるようで悲しかった
うちの子供時代なんやったんって。。。
絶対に認めたくなかった
だから叩く事は躾という考え方を変えたくなかった
でもマイツリーのプログラムで
親も親で愛し方を知らなかった
ということに気づけた
親の傷に気づいたら
叩くことは絶対駄目な事、虐待になる
親はうちに虐待をしたけどそれは愛し方を間違えただけ
と受け入れれるようになった
そして
オッサンのことも
犯罪被害者
と言えるようになった
初めて口に出そうとした時
凄く勇気がいった
うちは犯罪被害者なんや
って
口に出したら涙がなんでかとまらんかった
今は抵抗なく虐待されていたし犯罪被害者でもあると言える
マイツリーに出会っていなかったら
今も自分は虐待されたことを受け入れれずに
手を出すことは少し位あっても良い
と思っていたと思う
自分が虐待されていたと受け入れるのは凄く大変で辛かった
でも受け入れれたからこそ
躾と虐待の違いがわかるようになった
自分は絶対に手を出さない
そして
もし周りにも躾で手を出すこともあると言う人がいたら
教えてあげたい
最初は軽く叩くだけの事がどんどんエスカレートして子供に凄く腹がたった時、止まらなくなっていってしまうよ!
だから軽く叩くだけでも絶対にしたらあかん!って
そして
すでに子供に腹がたった時、手を出してしまうのを止められなくなっている人がいたら
その事で1人で苦しまないでほしい
自分を責めないでほしい
叩いてしまったときは後で子供をギュッとして抱きしめてほしい
ごめんねって伝えてほしい
子供に手を出す事への罪悪感が
躾という言い訳になり
次第にはエスカレートし
慣れから手を出す事に罪悪感すらも感じなくなる前に
1人で悩まずに
どこかに相談してほしい
誰もあなたを責めないよ
大丈夫だから