個性の担保
目の前の出来事は本当にどうとでも捉えることができるな、と踏んだここ数日だった。ネガティブなことも当然起こっているし、普通に考えるとめげてしまいそうなプレッシャーもたくさんある。同時に、ポジティブとすぐに変換できるような出来事もたくさん起きている。
都度、第一感情 → いったん隅々まで駆け巡らせる → 中庸に寄せる といったルーティンを繰り返している。自分の感情の動きに対する執着はなけれど、興味は非常にあるのだ。
考えていると、自分の存在意義だったり、自分とはなんぞや、といった「形成するにあたり支えているもの」自体分からなくなるし、どんどんアイデンティティといったものは希薄化していく。
でも、それで良いと思っている。
人間は常に変わっていくもの。「これが自分を形成している要素である」といった概念がいかに幻であり流動的なものかを、内省を重ねるほどにひしひしと感じる。
だからこそ逆説的ではあるが、常に立ち止まり、心の動きを観察し続けることが、今の自分にとっては生きるうえでの指針を自己生成するための重要な行為だったりする。
あまり意味を持たせすぎるのも別の縛りを作ってしまうので避けたいものではあるが、スルーしてしまいがちな感情や判断基準、都度生まれ出る想いのようなものをできるだけつぶさに掘り下げていくのは、自分じゃない人が自分を見ているみたいで楽しい。
個性を担保化する甘えが取れていく感覚。
ある種、自己という存在や意義に対しては、そこまで買い被らなくて良いよ、という靴を脱ぐような気持ちを持っていることが、かえって瑞々しく軽やかに歩みを進める推進力となっているのかも知れない。
今日はこんなところで。
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