ネガティブ②
流れ、というものはおそらく錯覚だと思いながらも、偶然の連続性を物事の間に見出すことで、どうしても「流れ」というものを感じざるを得ない時がある。
あることを行うにあたり、色々と "タイミングが合う" という事態が発生する。"タイミングが合う" 偶然がテンポ良く3個以上ほど続くことで、僕はそこにどうしても「流れ」の存在を意識する。
その逆、悪いことが続いた場合も然りではあるのだが、そちらはわりと割り切って「ただの非連続の連続」と思うようにしているし、幾度とない機会を経て身体がすでにそのような思考筋肉を作っているからか、あまり引きずることもない。
結局は占いにしても流れにしても「良いことだけ信じる」気質なのだ。
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こうしたものって、どうしても僕は「言葉にすると、それによる(自分にとっての)確定された世界をひとつ作ってしまう」と思っているからこそ、慎重に選んで吐き出すようにしている。それは思考の萌芽の段階から徐々に思いをまとめ、実際 "言葉" として出力される寸前まで、再考に再考を重ね、丁寧にフィルターを通す。他者と会話するにおいても、短時間の間に『東京大学物語』の村上くんばりに色々と逡巡しながら落とし込む努力をしている。
やはり言霊ではないが、好き好んで自分にとってネガティブなことを口にしたがらない性質だからかも知れない。だからこそ振り返り、もしくは中心に戻すような思いで昨日の日記を書いた。
決して言葉狩りやネガティブ思考の総排除をしたい訳ではない。だけど、「今日は流れが悪いな」や「ツイてない」「一日気分が悪い」などの思いが頭に浮かんだ際、これらの思いを実際やすやすと言葉としては吐き出さない。前述の理由どおり、言葉に引っ張られて自分自身の手で暗示による「世界を作って」しまうからだ。
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どうせ暗示で世界ができてしまうのなら、できるだけポジティブに捉えていきたい。もちろん、ネガティブのメリットをちゃんと自分の中でしっかりと認めながら。
今日はこんなところで。