「HP」は体力ではなく "回避の解像度" だ
昨日、"「不確定名」という概念が僕に与えた影響" という記事を上げた。
今日も「ウィザードリィ」を絡めた話をしたいのだが、このゲーム、とにかく記事でも伝えたように、3Dダンジョンと文字のみで構成された「プレイヤー側の想像力を大きく掻き立てる」RPGということもあり、シンプルな画面の向こうに思いを馳せ、それぞれがそれぞれの物語を膨らませつつ迷宮探索に勤しんだことだろうと思う。
そんなRPGなだけに、想像力を遺憾なく発揮し、ゲーム内で起きる様々なゲーム的事象(バグも含め)を、現実世界へ置き換えた際の独自解釈を行う人たちも多い。
何かと好き勝手にこじつけて遊ぶこともできるのが、Wizの魅力の一つでもあった。
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"ベニー松山" という著者が過去に執筆した「ウィザードリィのすべて」という本がある。
この本は、一応ファミコン版の攻略本という体を持ちながらも、すべてのページに渡り著者の解説強度が非常に高く、とても読み応えがありWizファンの間でも評価の高いものとなっている。
僕自身としては、氏の発想する「Wizへの独自解釈」が書き連ねられたコラムが、すごく印象に残っている。
中でも、これはWizに限らず「RPGすべてへの独自解釈」と言って差し支えないくらい、当時目から鱗が落ちる考察があったので、自分の人生に大きく影響を与えたものとして残しておきたい。
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「HP(ヒットポイント)」というパラメータがある。
一般的に、この項目を「体力」とほとんどの人が認識している。
僕も当然その一人だった。
但し、レベルが上がるたびに増えていくHP、これを現実の物理世界に置き換えると、人間にとってどのように体感として説明がつくのだろうか?
どれだけHPが増したとしても、皮膚がそこまで鋼鉄化するという事は考えにくく、鋭利な刃物などで刺されると、最大HPが20でも300でも受けるダメージの質はほぼ一緒ではないのか?
そこでベニー氏は、HPを「回避力」として仮説を打ち出した。
あくまで自己の体力の総量は同じであり、HPは、回避力を細分化した数値だというのだ。
例えば、「HPが20の人が15のダメージを受ける」ということは、それだけ "致命傷を受けるような避け方" をしてしまっており、「HPが300の人が同じ15のダメージを受けた」としても、実質 "かすり傷を受ける程度の避け方" ができている…という解釈だ。
こうなると、レベルが上がる事でHPが増加する、という現象が「"避け" の熟練度の増加」ということになり、一気に腑に落ちる。
僕はこの説明を読んだ瞬間、脳をハンマーで殴られたような衝撃を受けたのを覚えている。
ここまで華麗で鮮やかな「逆転の発想」を見せつけられたのは、おそらく子供心に初めてだったのではないか。
加算ではなく減算。強化より解像度の拡大。
これは、当時バトル全盛期だった少年ジャンプの「強さのインフレ化」に対する強烈なアンチテーゼとしても心に残ったことを覚えている。
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与えられた舞台が必要最低限かつ制限が多ければ多いほど、人は想像力と知恵が生まれるんだな、と、僕はこの本を通して学ぶことが非常に大きかった。
ロジカル / ラテラル / クリティカルシンキングなどが、いま世の中で重宝されており、様々な実用書や指南書に書かれていることが、氏が直接明言せずとも、この本にはすでに間接的に全て詰まっていた。
Wiz世界観の補強としてはもちろん、人生の羅針盤としても「ウィザードリィのすべて」は未だバイブルとして燦然と自分の中で輝いている。
今日はこんなところで。