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ノーベル文学賞とスウェーデン・アカデミー

 10月はノーベル賞受賞者が発表される月。
 ということで先月、関連書籍の拙訳書が刊行された。タイトルは『ノーベル文学賞が消えた日』(平凡社)。

 みなさんは2018年のノーベル文学賞の発表が延期された事件を覚えておられるだろうか? ノーベル文学賞の発表がないなんて、1901年の初授与以来、第二次世界大戦中を除けば異例の事態であった。

 ノーベル文学賞は世界最大の文学賞と呼んでいいだろう。物理学や化学、平和などのいくつもの分野を含むノーベル賞の一部門であり、それになんといっても賞金額が大きい。一億円以上もあるのだ。

 それほど有名な文学賞の発表中止の原因となったのは、選考団体であるスウェーデン・アカデミーの内紛だった。

 スウェーデン・アカデミー会員の夫であり、アカデミーと近い関係にある男性が長年、性的暴行を繰り返していた。本書の著者であるマティルダ・ヴォス・グスタヴソン記者は被害女性たちを丹念に取材し、2017年11月21日にダーゲンス・ニューヘーテル紙上で告発記事を発表した。

 このスキャンダルの対応を巡りスウェーデン・アカデミー内部では、組織の体質を近代化したい事務局長率いる会員たち(改革派)と、特権意識が強く性犯罪スキャンダルを無視したい会員たち(守旧派)の対立が激化。これは「初の女性事務局長サラ・ダニウス派」vs「権力志向の強い男性ホーラス・エングダール派」と読み替えてもいいだろう。
 残念なことに改革派は少数派であり、サラ・ダニウスは局長の座を追われてしまった。

対立

 だがこの結果は市民の怒りを買い、2018年4月20日には抗議集会がおこなわれた。二千人がスウェーデン・アカデミー会館の前に集まり、「スウェーデン・アカデミー会員は全員、辞任しろ!」と要求した。

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(Svenska Yle, 2018/4/20より)

 その後、ノーベル賞全般に責任を持つノーベル財団が乗り出した。ノーベル文学賞の選考機関としてスウェーデン・アカデミー以外の団体が新たに指名される可能性はある。こうしてようやくスウェーデン・アカデミーは改革を受け入れていく。

 それでもスウェーデン・アカデミー会員の全員辞任は実現しなかった。自ら辞めていく人はいたが、私の見るところ良心的な人ばかり。ホーラス・エングダールだけでも辞めろという意見があったが、彼は「会員は終身制」を盾に頑として動じなかった。

 私がスウェーデン・アカデミーを調べていて「怖い」と感じたのは、そこが閉鎖社会だということ。
・会員は終身制。
・秘密保持契約を結ぶので、会内の出来事を他言できない。

 まるでカルト教団のように思えた。

 著者のグスタヴソンは文学の世界に憧れていた。だから文壇トップ機関としてのスウェーデン・アカデミーを理想郷だと考えていた。アカデミー会員で詩人のクリスティーナ・ルグンや文学教授サラ・ダニウスも、もちろん同意見だった。

……アカデミー会員に選出されたばかりのサラ・ダニウスは、スウェーデン・アカデミーを人間のコミュニティの理想として描いた。「自分から退出することも、多数決で追い出されることもありません」。(本書p.197)

 しかしながらダニウスは事務局長の座を追われてしまった。それでもアカデミー会員を辞められないとしたら、それはただの「いじめ」だろう。

 著者はこう続ける。

もちろん、ルグンとダニウスが描写した組織で働くことにはリスクがある。内部で対立があった場合はどうするのか? その組織は、けっして分裂することができないのだ。絶対に妥協しない人に対して、どう交渉すればいいのか?

 部活なら「先輩が卒業するまで」、一般企業なら「人事異動があるまで」と自分に言い聞かせ、耐えることもできる。しかしスウェーデン・アカデミーで深刻な対立が発生すると、ひょっとしたらどちらかが死ぬまで解消しないかもしれないのだ。

 スウェーデン・アカデミーの活動に参加すれば報酬がもらえる。会員という社会的ステータスもある。おいそれとはやめられない。しかし実態はものすごい閉鎖社会だったのだ。

 2018年の改革後は、終身制はそのままだが辞任が可能になった。スウェーデン・アカデミーの会議に外部の人間が参加できるようになり、財政状況もウェブで公開されている。
(このあたりを解説した「訳者あとがき」の一部が、朝日新聞と出版社が共同運営するサイト「じんぶん堂」で読めます)

 だが、ダニウス事務局長を追放したスウェーデン・アカデミーが、アルノーの性犯罪を黙認していたことを真に反省しているとは思えない。
 
 こちらの記事はスウェーデン・アカデミーとアメリカの映画芸術科学アカデミーを比較し、日本社会は「ことなかれ主義でセクハラと腐敗を蔓延させたスウェーデン・アカデミー流の対処術を選ぶのか、それとも米映画芸術科学アカデミーと同じように徹底改革に取り組むのか」と疑問をぶつけている。
プリンセスのお尻触ったノーベル文学賞選考委員の夫 2つのアカデミー分かれた選択 日本はどっちに進む
(在英国際ジャーナリスト・木村正人氏の記事、ヤフー・ニュース2018/5/5)

 結局、”スキャンダルの責任を取って”スウェーデン・アカデミーを辞任した会員は、性犯罪をくりかえした男性の妻以外、誰もいない。当たり前の措置だが、それでも揉めに揉めて。

 いや、実は引責辞任はどうでもいいのだ。本当に必要なのは任期制だ。一定期間が来たらどの会員も席を明け渡し、組織の流動性と透明性を確保することだ。

「著名な文学賞は影響力も大きく、癒着が生まれる危険が常にある。選考委員が定期的に替わることで選考はフェアになる」

こう語るのは、国際ダブリン文学賞の元選考委員。
改革迫られるノーベル文学賞 選考の透明性と作家の多様性どう確保
(産経新聞、2021/9/25)

 ノーベル文学賞選考委員会の委員はすべてスウェーデン・アカデミーの会員である。しかしノーベル財団の介入の結果、2018年11月から2年間、5人の外部メンバーがノーベル文学賞選考委員に加わることになった(が、そのうち2人は不満を抱え、1年で辞任してしまった)。 

 このとき(2018年11月)ホーラス・エングダールも選考委員の一人だったが、ノーベル財団が「過去一年間の出来事に関係している人を含めないよう」要求したため、委員から外れた。

 いいぞ!

 2021年からは、ノーベル文学賞選考委員会にアフリカや東アジアなど6言語圏の専門家でつくる約10人のグループが設置され、参考となる評価資料を選考委員に提出し、必要に応じて質問に答えることになった。外部の声を取り入れる仕組みは継続するようだ。

 また、ノーベル文学賞選考委員の任期が3年になった。それまでは任期がなく、「非常に長いあいだ」選考委員をしていたスウェーデン・アカデミー会員もいるらしい。
 とはいえ18人しかいないスウェーデン・アカデミー会員の中から5人の選考委員を選ぶわけだ。規則によると、一度の更新が可能で(*)、委員になった人でも1ピリオド(3年)の期間をあければ再度就任できることになっている。
(*)2021.12.21訂正

 これがどれほど選考委員会の透明性や流動性を保証するのだろう? 

 ノーベル財団が文学賞選考の任務をスウェーデン・アカデミー以外に指名することはありえるかもしれない。だが、スウェーデン・アカデミー会員たちは何があっても任期制をかたくなに拒みそうな気がする。

*トップ画像は「銀座 蔦屋書店 文学」さんのツイッターから。掲載許可をいただきました。

(文責:羽根 由)


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