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婚活前に、自論を持て。(『傲慢と善良』 著・辻村 深月を読んで)

※この記事は、小説の内容を引用している箇所があります。
ネタバレに繋がる可能性もあるため、これから本を読む方はご注意ください。



久しぶりに、没頭できる小説に出会った。

辻村 深月さん著の『傲慢と善良』。
友人が「最高に良かったから読んで」と勧めてくれて早速読んでみたのだ。

以前この友人からは他にも朝井 リョウさんの小説を勧めてもらっており、見事にどハマりした。

『傲慢と善良』もまた、朝井 リョウさんが解説を担当されている。

そんなつながりも面白いなと思って、何の気なしに読み始めた。

「え。めちゃくちゃリアル……」

それが、読み始めてすぐに感じたことだ。

小説はジャンルや著者によって世界観がガラッと変わる。

辻村 深月さんの名前はもちろん知っていたが、小説は恥ずかしながら読んだことがなかった。

そのため、こんなにリアルな世界に小説で触れるとは思っていなかったのだ。

恋愛小説ということもある。婚活をテーマにしているということも、もちろんあるだろう。

しかし、東京と栃木の絶妙な世界観の違いや、田舎から上京した子と田舎でそのまま過ごしている子との価値観の違い。

「結婚」「婚活」「結婚相談所」エトセトラ、エトセトラ……

これらの単語は、30歳を目前にした私と私の周りの友達には身近についてまわる。

それを私がいくら拒もうとも、否応なしに。

これを勧めてくれた友人は、今好きな人に「結婚前提で付き合ってほしい」と告白すると決意していた。
そして同時に、お見合いの相談所にも登録をしたらしい。

「なんという行動力…!」と感心しつつ、何がそこまで彼女を駆り立てさせたのだろう?と思った。

そして、この小説を読んで、なんとなくわかったような、わからなかったような気がした。

わかった部分としては、「結婚相談所は最後の手段ではない」ということ。

ーー結婚相談所は、婚活を思いついたその日に登録すること、行ってみることを推奨していました。特に、女性の場合は出産の事情もあって、男性側が二十代の相手を希望することが多く、二十代で紹介してもらえる数と、三十代になってから紹介してもらえる数には違いも出るから、本気で結婚したいと思っているなら、すぐに動くことを記事の中で勧めていたんです。
(一部省略)
「結婚相談所は、最後の手段ではありません。最初の手段なんです」

『傲慢と善良』 著・辻村 深月より引用

「なるほどな」と思った。

マッチングアプリが主流になり、婚活を目的としたアプリが世に溢れ、個人での婚活が自由にできるようになった昨今。結婚相談所は"アプリや街コン、合コンでも出会えなかった人"が最後にいくようなイメージを私も持っていた。

しかし、年齢がネックになる以上、早いに越したことはないのだ。
何せ相手はプロなのだから。

なんだか"ガチ"な気がして、「いや、流石に結婚相談所に行くレベルではない」と思ってしまっている人も多いのではないだろうか?と思う。

本当は"ガチ"で探したいはずなのに、なぜか見栄を張ってしまう。

まだそこまで自分は困っていない、と思ってしまう。

この小説の言葉を借りるならば、なんて"傲慢"なんだろう。

私を含め、きっと世の中には"傲慢"な人が溢れている。

そしてその傲慢さを、自己愛でつつみ隠してしまう。

文章によって客観的にその現実を突きつけられると、身もたじたじになってしまうではないか。

そんなリアルな言葉がたくさん詰まったこの小説に、没頭してしまった。

そしてもう一つ、グッと刺さった言葉がある。

「真実さんを含め、親御さんに言われて婚活される方の大半は、結婚などせずに、このままずっと変わりたくない、というのが本音でしょう。三十にもなれば仕事も安定し、趣味や交友関係もそこそこ固まって、女性も男性も生活がそれなりに自分にとって居心地がいいものになりますから。けれど、そのまま、変わらないことを選択する勇気もない。婚活をしない、独身でいる、ということを選ぶ意思さえないんです」

『傲慢と善良』 著・辻村 深月より引用

「変わらないことを選択する勇気もない。婚活をしない、独身でいる、ということを選ぶ意思さえない」

なんという凶器だろう。まるで研ぎたての刃物。

結局のところ、自分で意思決定し、責任を負うことが嫌な人が多いのだ。

だから決めたくないし、周りに流されて、なんとなくみんなと一緒の状態で安心する。

そして時に、決めている人に対してまで、「本当に?そうは言いつつもいつかは結婚するかもしれないじゃん」と平気で言う。

結婚に対する価値観はみんな一緒ではないのに。

結局、"自分で決められない人"が多いのだなと思う。

自分は決められないから、決めた人のことも理解できないし、受け入れることができない。

そのくせ、自分が流されてきた世界観とは逸脱した言動をとる人(芸能人の不倫やLGBTなど)に対しては徹底的に叩く。

自分が流された方向が正しいと思い込みたいから。

全ては教育のせいなのかな、とも考えるようになった。

自分の意見を持たず、周りに合わせる。

空気を読んで、求められている回答通りに動く。

それが良い点ももちろんあるのだけれど、自分の意志を持てない人は奴隷でしかない、と思う。

奴隷という言葉をつかうと反発を喰らうかもしれないけれど、自分で決定せずに流れに身を任せて、"安心"というワードに縋る。

「結婚すれば一生幸せ」
「結婚すればずっと孤独ではない」
「結婚すれば安泰」

なんとなくで流されて結婚して、離婚している人がこんなにもいるのに。

そういう不都合な事実は受け入れない。

一方で、自分で決めたビジョンが明確にあって、そのために婚活する人は強い。

小説内にも描かれていたけれど、ビジョンが明確にある人は、そのビジョンに向かって愚直に行動するだけだから。

変な情にも絆されないし、目的を達成するために無駄なことがあれば、時間を無駄にしないことを選択する。

そうやっている人が嘲笑わられない世の中になればいいのにな、と心から思う。

そして、自分で決めた人に対して、自論がないのに感情だけで反論するようなチープな世界にはいたくないな、と改めて思った。

自分が過ごす世界は自分で決めるものだから。

「みんな違って、みんないい。」の実現のためには、まずは各々が自論を持つことがファーストステップになるのではないだろうか。


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みろにー
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