三峯神社に呼ばれた日
ちょうど一年前の今日、初めて秩父の三峯神社へ行った。
あれから一年でまさか世の中がこんな事態になるとは、もちろん予想すら出来なかった。
今となってはとても参拝は叶わないので、あの日に行けたことをとてもありがたく思う。しかも、その日はちょっとした偶然が重なり、まるでお犬様にご招待を受けたかのように快適な日帰り一人旅を楽しむことができたのだった。
一年が経ってしまったが、忘れがたいあの一日を、手帳に書き残したメモと写真をもとに、ここに残しておこうと思った。
言わずと知れた関東最強と名高いパワースポット、三峯神社。
スピリチュアル系に疎く信心薄い私にとっては、単純に狼好きとしていつかは行きたいスポットの一つだった。
そもそも、やたら遠い。遠すぎる。遠足にしても丸一日潰す覚悟がいる。
友人知人に聞くと皆車で行っているようだが、普段運転しない自分には論外。ならばと電車経路を調べたら、自宅から電車とバスを乗り継いで片道3時間強と分かり、腰の重い私はなんだかんだと参拝を先送りしていたのだった。
でも去年の5月末、夜中に唐突に「あ。行かなくちゃ」と思い立った私は、気がつくと翌週のバスツアーの予約を完了していた。
そう、バスツアーという手があったのだ。自宅近くのターミナル駅でバスに乗り込んでさえしまえば、後は数時間かかろうが勝手に目的地へ連れてってくれる。楽ちんだ。
かくしてその日は来た。
梅雨入り前の日差しの弱々しい薄曇り空の下、バスは新宿西口のセンタービル前から出発した。
朝7時半集合で片道約3時間。バスでの長距離移動の旅は本当にひさびさ。道はかなり空いていて順調に進み、11時頃には車中でお昼の弁当が配られた。秩父の郷土料理が詰まったとても美味しい弁当だったのだが、その直後からちょうどバスが山道に差し掛かり、ぐんぐんカーブを登っていく車内で一気に気持ち悪くなってしまった。
結局半分ぐらいしか食べられず、せっかく食べたその半分も、神社に到着するなり駐車場のトイレでまさかのサヨウナラ。ヘロヘロ状態のまま手と口を清め、気を取り直して参拝へ向かった。
境内は予想に反してえらく空いていた。そう言えば、ここに来るまでの山道もやたら空いていた(おかげで酔った)。
平日に来た甲斐があったと思っていたが、ベテラン添乗員の女性もバスの運転手さんも「平日でもこんなのは初めて」と驚いていた。
とにかく偶然でもありがたい。人払いがされたかのように、清々しいほどガラガラの参道を歩き、伸び伸びと気持ちよく参拝できた。
ガイドさんに敷石の龍神様の説明を聞く。何やらものすごいご利益があるそうだが、見た目は意外と可愛らしい龍神様だった。マンガ日本昔話のオープニングを思い出した。携帯の待ち受けにする人が多いと聞き、お土産代わりにとバシバシ撮影した。
その後は自由行動だったので、とりあえずおみくじを引いてみた。
当然のように大吉。大吉なんてここ十数年まったく縁が無かったので素直に嬉しかった。しかもいきなり「わが道を行きなさい」と書いてあった。これも偶然なのだろうか・・・?
さらに一人で境内をウロウロしているとなんと狼に遭遇!・・・と一瞬焦るほど、大きな犬を連れた人に出逢った。アラスカンマラミュートだろうか、とにかく狼っぽいワイルドな毛並みの素敵なワンコだった。頭を撫でさせてもらい顔を覗き込むと、思いがけずやさしい目をしていて、あんまり可愛いので断って写真を撮らせていただいた。
※こちらのワンちゃんの飼い主様、写真撮影をご快諾頂きありがとうございました。何か不都合ありましたらすぐに削除致しますのでお手数ですがご連絡ください。
最後に山中の奥宮を望む見晴台のような遥拝殿へ。さすがに鈍感な私でもここは空気が違うのが分かった。思わず背筋を伸ばし、あわてて財布を取り出す。どういうわけか、この旅ではお賽銭を出そうと財布を開く度に、山程あったはずの小銭が消え失せて百円と五百円玉しかないのだった。まあ当然ですよね・・と呟きつつ五百円玉を献上する。
薄曇りの空の向こうに、山頂に奥院があるという霊峰「妙法ケ岳」が見えた。観た人みんなに少しでもご利益があるといいなぁと重い、後にこのブログを始めた時この時撮影した写真を迷わずトップ画像にしたのだった。
集合時間が迫り、バタバタとバスに戻った。
その後、秩父神社、宝登山神社と回った。どちらも境内は閑散としていた。よほど日が悪かったのかと思ったが、そんなこともなかったらしい。
秩父物産センターにはご当地ゆるキャラのポテくまがいた。めちゃ可愛い。
東京ガスのガスパッチョに似てるけど、そこまでプリケツではなかった笑。
最後に長瀞にも連れて行ってもらえた。お天気もさらによくなり、これまた人が少なくて清々しい景色をしばし堪能。
その後の帰り道もやたらに順調で、予定より30分も早い帰着だった。
・・・以上が、一年前の旅の記憶である。
こうして書き出してみるとなんということもないが、自分にとっては呼ばれたとしか思えない旅だった。
我が家のリビングに今も貼ってある、この日に頂いた御札。
これをお納めするべく再びあの地を訪れる日が来るのか、それがいったいいつになるのか、見当もつかない。
でも、きっとまたその日が来たら、突然呼ばれるような気がする。
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